「せやからな、この馬とこの馬はいかさんようにしたから」

 今から50年近く前、昭和の時代にはヤクザが「競馬の八百長レース」を仕切っていたことも……。いったいなぜそんなことができるのか? その内幕を、山口組系組長から更生を果たし、現在は暴力団員の更生支援のために活動するNPO法人五仁會(ごじんかい)代表・竹垣悟氏の『山口組ぶっちゃけ話 私が出会った侠客たち』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

写真はイメージ ©getty

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ヤクザと八百長

 野球ではないものの、私は直に正相談役(竹中正。竹中組のナンバー2)から、競馬で八百長レースを仕組んだと聞かされたことがある。

 1980年ごろのことだったと思うが、園田競馬のある騎手が中西一雄率いる三代目山口組内中西組の組員の女に手を出してしまい困っていると正相談役に泣きついてきた。

 相談を受けた私は懲役で一緒だった中西組若頭補佐の立石健造に話をつけ、事態を穏便に収めたのだが、その土産代わりに「八百長レースを一発組ませたから」と八百長競馬を仕組んだのである。

 正相談役が言うには、競馬の八百長というのは本命が来ないようにすることはできても、何が一着に来るかまではわからないそうだ。

「せやからな、この馬とこの馬はいかさんようにしたから」

 競馬新聞片手にこっそり耳打ちしてくれたものの、競馬素人の私にはさっぱりわからない。

写真はイメージ ©getty

 こちらとしては買い目まで世話してくれないとどうにもならない。

 もちろん私の馬券は外れた。このとき正相談役が大穴を当てたという記憶もないので、どうやら野球も競馬も八百長は思いどおりにはいかないようである。

 野球賭博については警察も1965年ごろから「竹中組で大規模な野球賭博が行われている」ことを把握していて、姫路警察署は同年10月に武組長を、また翌年2月には正久親分を、それぞれ賭博開帳図利の容疑で逮捕している。おそらくこれが日本で最初の野球賭博での逮捕であろう。

 そして、この逮捕から3年後の1969年にプロ野球界を激震させる「黒い霧事件」が起こるのである。

 プロ野球とやくざの黒い関係は野球賭博の始まりとともに密になっていくのである。

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