和子がMAWJを知ったのは、hideが亡くなる3年前の95年秋だった。骨髄移植関係の会報で連絡先を知り、電話をした。

「骨髄移植の前に思い出を作ってやりたいんです」

 電話を受けた寿子が和歌山市内の自宅で夢を聞くと、真由子は答えた。

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「hideさんに会いたい」

 断られても仕方ない。寿子はそう思いながら、hideの事務所を訪ねる。真由子の思いを和子が綴った手紙を渡すと、事務所側は「hideはやると思います」と言った。本人は米ロサンゼルスにいた。

昨夏亡くなった大野さん

「hideさんはあの手紙を読んでくれたんだ」

 寿子から「会えそうだ」と連絡を受けた時のことを和子が回想する。

「電話を受けながら、すぐ横にいた真由子と2人で、『うそ? うそ?』って。信じられなかったです」

 真由子が東京ドームで「X JAPAN」の公演を楽しんだのはその年の大みそかだ。公演後、真由子たち家族と寿子が控え室で待っていると、hideは舞台衣装のまま入って来た。

「どうだった?」

「うれしかった」

 真由子が答える時、hideは自分の耳を軽く真由子の方に傾けた。和子は思った。

「hideさんはあの手紙を読んでくれたんだ」

 手紙には、「病気の真由子は大きな声が出せない」と記していた。

 報道陣が囲む中、真由子は自分で編んだマフラーを手渡した。hideは首にくるっと巻き、用意した黒いギターにサインをする。『紅』のイントロをつま弾き、そのギターを真由子に贈った。

この続きでは、病床に駆けつけたhideが書いた手紙などhideと真由子の交流秘話を詳しく紹介。現在配信中の「週刊文春 電子版」および9月25日発売の「週刊文春」で読むことができる〉

大野さんの奇跡のような人生の最期を克明に描いている『かなえびと 大野寿子が余命1カ月に懸けた夢』(9月22日発売)
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