A子さんの母親は夏休みに入っても学校とのやりとりを続け、8月7日に「謝罪の会」が図書室で開かれることになった。参加したのはA子さんと両親、そして給食を無理やり食べさせようとさせたB子を含む女子3人とその保護者など。学校側からは校長と教頭、担任が同席した。
会が開かれる前、教頭は「きょうは給食事件のことで集まっていただいています。それ以外は触れないようにお願いします」とA子さんの母親に釘を刺したという。
「A子がB子からいじめを受けるようになったのは小2の時からで、学校にも何度も相談してきました。それが解決されなかったことが事件につながっているのに、学校はあくまでも給食の出来事にしか対応しないというんです。しかも給食の事件についても、3人がA子に何をしたのか説明してくれるように事前に伝えていたのですが、説明はなく、女子3人が順番に立ち上がって『ごめんなさい』というだけ。母親たちも、申し訳なさそうに頭を下げるだけでした」
怒りが収まらなかった母親は、2日後に教頭との電話の中で「過去のことをきちんと調べてください」と念を押した。しかし教頭の答えは「過去のことは認識の違い、記憶の薄れもあるし、解決したものと考えている」「市教委は過去のこともいじめとしていましたが、学校としてはもう解決したものと考えています」というものだった。
母親は尾道市の教育委員会にも電話で連絡し、「調べてくれないなら第三者に相談します」と伝えると、数日後に所轄の警察署に被害届を出した。
「お姉ちゃんを守れなかった学校には通えません」と弟も一緒に転校することに
謝罪の会が終わって2学期が始まっても状況は一向に改善せず、欠席が30日を超えたことで、市の教育委員会はA子さんのケースを「いじめ重大事態」と認定したが、その時点ではA子さんの保護者には伝えられなかった。
10月、A子さんは医師から「適応障害」の診断が下された。被害届に診断書を添えて提出しようと警察署に電話すると、前回は被害届の受理ではなく相談扱いになっていたことがわかった。
結局A子さんは2学期の間ずっと学校に通うことができず、転校できるように学校に頼んでいた。1月16日にようやく許可が下り、弟とともに市内の別の小学校に転校することになった。
「A子はその時点でもまだ体力的に落ち着いていなかったので、まず弟だけが転校しました。弟は転校の理由を書く書類に『お姉ちゃんを守れなかった学校には通えません』と書いていました」

