河島誠司さん(53歳・愛知県常滑市出身/岡崎市在住)は、クリーニング工場で契約社員として働き、副業を含めた年収は約300万円。家族は看護師の妻(51歳)、社会人の長男(24歳)、大学3年生の次男(21歳)の4人暮らし。
新卒の頃は業界中位の証券会社に就職した彼だが、その後は意に沿わぬ“キャリアダウン転職”ばかり繰り返したワケとは? 社会問題化しつつある「ミッドライフクライシス」(中年の危機)に直面した50代を追った、増田明利氏によるルポルタージュ『今日、50歳になった―悩み多き13人の中年たち、人生について本音を語る』(彩図社)から一部を抜粋してお届け。なお、登場人物のプライバシー保護のため、氏名は仮名としている。(全2回の2回目/最初から読む)
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消費者金融→警備会社に転職したけれど…
消費者金融会社を辞めたのは2015年6月。年齢は43歳になっていた。
「アベノミクスとか異次元の金融緩和と言っていた頃だけど、職探しは厳しかった。
既に3回の転職経験があるから腰の落ち着かない人間と思われたのか、何か問題が
あると勘繰られたのか。早い話、信用できない人物という評価ですよ」
求人情報を頼りに履歴書や職務経歴書を送っても1週間後には返送されてしまう。
精神的にも辛い毎日だった。
「失業手当は日数が決められているし、子ども2人は当時まだ義務教育期間。これから高い教育費が必要になってくるのだから、職種がどうだと言っている場合じゃない。事務や営業などのホワイトカラー的な仕事を諦めたら簡単に警備会社に採用された」
警備士になって名古屋市中心部にあるいくつかのオフィスビルに派遣され、約6年働き現場の管理職にもなったが、一帯の再開発のため状況は悪化。
「他の地区の現場に異動だろうと思ってたけど、どこも人は足りている。一部は夜間だけ機械警備に切り替えるので移れる場所はない。そんなわけで辞めてくれということでした。納得できないけど怒ってもどうにもならんしね。分かりましたと身を引いたわけです」
警備会社を辞めたのは2021年7月。世の中は新型コロナで混乱していた。
「ハローワークには通いましたが年齢制限があるものが多かった。雇用形態も契約や嘱託、パート、アルバイトというものが結構ありました。年齢制限がない何社かに電話で問い合わせたけど年齢を言ったら『難しいですね』とやんわり断られました。本当はいけないんですが、ハローワークに内緒でウーバーの配達おじさんをやっていました。でも嫌だったなあ」
