河島誠司さん(53歳・愛知県常滑市出身/岡崎市在住)は、クリーニング工場で契約社員として働き、副業を含めた年収は約300万円。家族は看護師の妻(51歳)、社会人の長男(24歳)、大学3年生の次男(21歳)の4人暮らし。
新人時代は、中堅どころではトップクラスの証券会社の出世コースにいた彼。現在はワーキングプアと言っても言い過ぎでない不遇な状況にある理由とは? 社会問題化しつつある「ミッドライフクライシス」(中年の危機)に直面した50代を追った、増田明利氏によるルポルタージュ『今日、50歳になった―悩み多き13人の中年たち、人生について本音を語る』(彩図社)から一部を抜粋してお届け。なお、登場人物のプライバシー保護のため、氏名は仮名としている。(全2回の1回目/後編を読む)
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「出世コースだったんですけどね」
出勤してロッカー室で待機していると庶務課の主任がやってきて、「雇用契約の更新書類です。内容を確認して同意したら署名、押印して持ってきてください」と角型封筒を渡された。書類を確認したら、9月16日から向こう半年間の雇用契約書が入っていた。
「今回は時給が30円も上がったそうですよ。良かったじゃないですか」
ひと回り以上も年下の主任は「人手不足のお陰ですね」と軽口を叩いて出ていった。河島さんの職場は業務用クリーニングの工場。ここで洗濯物の回収と仕上がったものの配送を担当している。この会社に転職して1年6か月、今回で4回目の雇用契約締結ということになる。
「大学を卒業して社会人デビューしたのは1994年です。不景気だったけどそのうち反転する、日本経済はそんなに脆弱じゃないと思っていました。ここを踏ん張れば自分には明るい未来があると信じていた」
新卒で就職したのは証券会社だった。
「東海地区が地盤の業界中位の会社でしてね。静岡、愛知、岐阜の人で50歳以上の人なら聞き覚えがあると思いますよ。テレビ、ラジオのローカル番組のスポンサーになっていたこともある会社です」
売上は当時の四大証券には及ばないが中堅どころではトップクラス。福利厚生面も地方企業にしては充実していたのが魅力だった。
「2か月の新人研修後に名古屋市内の支店に配属され営業マンになったわけです。基幹支店なので出世コースだったんですけどね」
バブル景気は終わりに向かっていたが、手持ち資金を運用したいという人はそれなりの数いたし、株価が下がったときに買って配当金を貰ったり、株主優待制度を利用したりしたいという人も多かった。
