信子さまの希望で事態急変

 しかし9月下旬、記者発表直前に異議申し立てが行われる。三笠宮家からは出ることになった信子さまが、三笠宮家の宮号を家の名に付けたいと希望されたのだ。想定外の事態に、宮内庁は慌て三笠宮家の親族に説明に走った。取材に応じた元内親王はこう語った。

「公式文書では『寛仁親王妃信子殿下』となるので、決して三笠宮とはつきません、という宮内庁のご説明でした」

寛仁さま ©文藝春秋

 記者発表の3日前には彬子さまにも、この旨の連絡が入った。彬子さまは宮内庁に承知できないと伝えたというが、「これ以上議論すると合意自体が覆りかねない」と話は打ち切られたという。

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 母と娘の関係はなぜここまで拗れてしまったのか――。11月10日発売の「文藝春秋」12月号及び「文藝春秋PLUS」に掲載される特集記事では、彬子さまが「母との関係が終わった瞬間だった」という家出事件、信子妃が患われている「ストレス性喘息」の原因、宮内庁内部文書の詳細、元内親王の告白など、三笠宮家“分裂”の核心を明らかにしている。

出典元

文藝春秋

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