ドキュメント映像と「ルールを破る」思考実験から生まれた着想
――千日回峰行をテーマに選ばれたきっかけは何だったのでしょうか。
住田:5年くらい前に比叡山延暦寺に行ったとき、土産物店で、千日回峰行を2度満行された酒井雄哉(「さい」の字は正しくは最後から2番目のはらいがないもの)さんとジャーナリストの池上彰さんの対談本が売られていたんです。僕は池上さんが大好きなので迷わずその本を購入し、読んでみたところで、千日回峰行というものを知ったんです。
あまりに過酷で、物語でも読んでいるのかと錯覚するくらいの修行が、この世にあるんだということにまず驚きました。さらにこれを物語にした人はいるんだろうか、もしかしたらいないかもしれないな、というところから作品の構想がスタートしました。
安部:着想から数えると5年くらいはかかっているわけですね。よくここまで調べられていると感心することがいくつもあるんですが、どのように勉強されたのでしょう?
住田:ほとんど書籍です。これまで千日回峰行を満行された方が残されている手記などがいろいろとあり、エピソードをまず集めました。ただ何より筆を進ませてくれたのが、映像資料でした。千日回峰行のドキュメントがあって、映像は文字とは語りかけてくるものが違うので、そこに頼った部分も大きかったですね。
安部:もうひとつ、この作品の出色なところは、千日回峰行と天皇家の問題を結びつけているところですね。主人公のふたりの僧侶、恃照と弟子となる戒閻は、同じように天皇家からある意味捨てられた。その捨てられたふたりが、自分の存在証明のように千日回峰行を目指していくという着想は見事でした。
住田:自分はもともと「ルール」というものについて考えることが結構多くて。千日回峰行には、失敗したら死を選ばされるという鉄則があるわけです。もちろん、それは守っていかなければいけないわけですけれども、もしそれを破らなくてはならない瞬間が訪れたら、人々はどう動くんだろう、と。
ルールやしきたりを破らざるを得ない、枉げざるを得ないシチュエーションが突然目の前に現れたとき、人々はどう慌てふためいて、どう折り合いをつけるのか考え抜いた末に、「失敗したけれども、絶対に自害させてはならない事情のある人間がいたらそうなるかもしれない」と思ったんです。だとすれば、その理由はもうやんごとなき血縁に求めるしかないかなというところで、帝の子という設定に落ち着きました。
安部:いや、これはすごいことで、ほとんど誰も思いつかないと思うんですよ。比叡山は京都の鬼門を守る場所で、天台座主には天皇家ゆかりの門跡を入れる伝統が長く続いている。行を終えた行者が天皇に拝謁できる「土足参内」という制度も、行者のすごさを示すと同時に、天皇家の権威を高める相互作用がある。そこら辺をちゃんと理解してお書きになっているのに感心しました。
――安部さんは千日回峰行を成し遂げた大阿闍梨の方とも親交がおありだとか。
安部:ええ、長年親しくさせていただいて、先ほどお名前が挙がった酒井さんの師である、叡南覚照大阿闍梨からいただいた、数珠を持ってきました。作中でも「真言を唱えながら数珠を揉む」というシーンがありますが、実演しますと、こんな感じで揉むんです。(数珠を擦り合わせながら)「ナウマクサンマンダー バサラナン センダマカロシャナ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」……というような感じでね。だから、この作品のリアリティがすごいというのがよくわかるんですよ。
