2025年の松本清張賞を『白鷺(はくろ)立つ』で受賞し、9月に単行本デビューした住田祐(すみだ・さち)さん。失敗すれば死という過酷な修行〈千日回峰行〉を題材にした、鮮烈なデビュー作を「素晴らしい筆力。160キロの速球を見た」と激賞したのが、2013年に『等伯』で直木賞を受賞した安部龍太郎さんです。

 住田さん自身もこの『等伯』に深い感銘を受けていたことから、大ベテランと大型新人の対談が実現。おふたりが「歴史小説への挑み方」を熱く語り合いました(後編/全2回・前編はこちらから)

先行作品は駄作ばかり!? 世界史の中でこそ日本を複眼的に

住田:安部さんは信長、秀吉や家康など、他の作家さんによってすでに描かれ尽くしたといってもいい人物に挑んでこられましたが、先行作品というのはどこまで意識されていますか。

ADVERTISEMENT

安部:僕はですね、ほとんど気にしないですね。

住田:そうなんですか……。

安部:ええ、先行作品は駄作ばかりだと思っています(笑)。まあ、それぐらいの気概で、ということです。信長を書くにしても、秀吉を書くにしても、僕の見方と先行した作家たちの見方は全く違うわけです。自分は信長を書くならこう書きたい、という方針のもとに書きますから。たとえば、世界のサプライチェーンと信長の国家戦略とか、そういう視点から書いた人はいません。だから、ほとんど気にしないし、好き勝手にやらしていただくというのがあるんですね。

身振り手振りを交え、熱く語る安部さん

――安部さんの作品は、常に日本をアジアや世界との関係性の中で捉えているのが特徴的ですね。そのテーマはいつ頃発見されたのでしょうか。

安部:実は信長を書きはじめたのは、信長が分からなかったからなんです。天才的な一面と、比叡山焼き討ちのような残虐性。この人間性ってどういうもんなんだろうと。書くことで解決しようとしたんですね。作家というのは、分からないから書くんです。それでずっと書いていて、ある時、信長が分からない理由が分かった。それは、戦国時代の解釈そのものが間違いだからなんですよ。

住田:間違い、ですか。

安部:信長の時代は世界の大航海時代です。ポルトガルから鉄砲が伝わり、南蛮貿易がはじまって、鉄砲に使う硝石や鉛はほぼ東南アジアからの輸入品だった。そういう前提を抜きにして、国内的な視点だけで戦国時代を書いても、ほとんど意味がないと僕は思っているんです。日本は島国とはいえ、世界の影響を受けていない時代は1年たりともない。国内の視点も重要ですが、同時にユーラシア大陸とか世界の情勢を複眼的に見て物事を判断しないと間違う。これはごく常識的なことだと思うんです。