「私がこの首をかけて責任持ちますから」と手打ちを成立させた…バービーの知られざる素顔

 バービーは私の取材に、

「私は不良少年の頃、池袋や銀座で松山を『兄貴』と慕ってくっついて歩いていたこともあって、ずっと心安くして貰ってましたからね。で、すぐに松山事務所に電話を入れたんですが、戦争の最中だから、なかなか連絡がとれない。しばらくして、私のベンツの自動車電話に、松山本人から電話が入ったんです。私が言ったのは、『兄貴、堀政夫と2人きりで会ってくれませんか。私がこの首をかけて責任持ちますから』。松山の兄貴も、『わかった。おまえが言うんなら会おう』と言下に応えてくれました」

 その夜のうちに、「堀・松山会談」は、東京・永田町のキャピトル東急において実現した。住吉側からは堀会長、川口喨史副会長、金子常任相談役、極東三浦連合会からは松山総長、大山光一最高顧問、池田亨一会長、塚瀬毅運営委員長が出席。

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 堀と松山は顔を合わすなり、「眞ちゃん」「政ちゃん」と呼びあい、かつての旧友時代に還って心を許しあい、手を握りあったという。あとの言葉は何も必要としなかった。電光石火の手打ち成立である。

金子幸市氏(写真提供=徳間書店)

日本最大最強のテキヤ組織のドンとなる兄貴分に対して、バービーが言い放った“ジョーク”とは?

「眞ちゃん、見てくれよ、うちの金子を。こういう役に立つような男になってくれるなんてね……」

 堀が感無量の面持ちで言えば、松山も、

「いやあ、政ちゃん、本当は、金子はオレが欲しかったんだ。もともとオレのところにいた男なんだから」

 と言うのに、バービーは、またしても一言多かった。

「私に金魚売りは務まりませんよ(笑)」

 日本最大最強のテキヤ組織のドンとなる兄貴分に対して、ジョークとはいえ、この憎まれ口、さしもカリスマ・松山も苦笑したことであったろう。

 後のことだが、私も2人の親交ぶりを目のあたりにしたことがあった。

 極東三浦連合会の機関誌「限りなき前進」を手伝うようになり、その取材で、1月早々、池袋の松山事務所を訪ねていた時のこと。そこへ「お年始」に訪れたバービーとバッタリかち合ったことがあったのだ。

 バービーも先客の私に気づいて「おお」という顔になったが、兄貴分の松山に対し礼を尽くし、新年の挨拶を行っている様子は、いつもの“トッポさ”はなく、神妙なものだった。