「井上喜人という人も、当時はまだ現役でしたから、そりゃ力ありましたよ。井上十六人衆って、貸元やってる舎弟が16人もいましたからね。横浜の山田時造ってのもその1人で、これも実力者で若い衆もいいのが揃ってた。その舎弟の1人が千葉のハマコー、国会議員にまでなった浜田幸一ですよ。確か、ヤツは県議を2期務めた時まで現役だったのを、鶴政会の時代かな、国政に出るっていうんで引退さしたんですよ」

 この件はハマコー自らが公言していることでもあって、もはや秘話ではないのだが、それにしても現役ヤクザの県会議員が罷り通ったのだから、昭和という時代のなんとおおらかなことか。ハマコーに限らず、その時分、県会議員や市会議員が現役のヤクザの親分を兼ねていたというケースは、地方へ行けば決して珍しくはなかった(テキヤ系親分が多く、議長まで務めた例もある)。今なら信じられない話であろうけれど。

「よし、撃つなら撃ってみろ!」大山氏が刑務所で起こした騒ぎの一部始終

 ちなみに井上喜人は、モロッコの辰、吉水金吾、林喜一郎とともに戦後の“横浜愚連隊四天王”として稲川会の基盤を作った1人とされ、最も勢いのあった時期に稲川総裁や兄貴分の横山新次郎の勘気をこうむる所作があったとして引退を余儀なくされた人物。

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 私も1度だけお会いしたことがあるが、老いていたとはいえ、やはり“只者ではない感”が溢れ、全盛期はさぞや迫力が違っていたのだろうな、と容易に想像がついた。大山氏の話は、こう続いた。

「井上喜人さんで思い出されるのは、私の懲役の時のことですよ。私は3度不良押送されて4度目の新潟刑務所でも警備隊長と喧嘩して、官も手に負えないとなって、最後は長期刑務所の千葉に送り込まれたんですよ。そこでも無期刑の者ばかりだから官の扱いがひどくてね、私がまたやりあってたら、私に懐いてた隣りの房の4人が部屋に立て籠って3時間くらい騒ぎを起こしたんですよ。

 ついには特警隊がガス銃持ってきて撃とうとするから、『よし、撃つなら撃ってみろ! おまえら、殺人で訴えてやるから』と大変な騒ぎになった。最終的には、私が4人を抑えたけど、所長と私の両方が告訴するという話になったんです」

 さて、このあと、どう収拾がついたのか? ここで登場するのが、井上喜人であったのだ。

大山健太郎氏(写真提供=徳間書店)

面会の場で「てめえ、このヤロー!」「いつまでチンピラみたいなことをやってるんだ!」と言われ…

 そんな矢先、大山に「面会」が入り、連れて行かれた先が面会室ではなく所長室であったから、大山も首を傾げながら入室すると、妻と弁護士の他に、井上喜人の姿があった。

 大山が驚いて井上に挨拶すると、「てめえ、このヤロー!」といきなり顔に鉄拳が飛んできた。

「いつまでチンピラみたいなことをやってるんだ!」

 鬼の形相で怒鳴りつけると、井上は傍らの大山夫人を示し、

「おまえ、彼女の苦労、わかってんのか。おまえの帰りを待ってるんだよ」

 と言い、そのうえで大山の告訴状を取り出し、

「これ、何だ?」

 と言うので、大山が答えられずにいると、井上は、「バカヤロー!」と皆の前で、それをビリビリッと破り出した。これには所長を始め、刑務所側の偉いさんが、井上を必死に宥める役にまわり、大山も何も言えなかった。

 かくて大山は所長と和解し、騒動は一件落着となったという。

 現役時代の井上は、さすがの怖い者知らずの暴れん坊をも黙らせるほど恐ろしい存在であったわけで、大山氏も、そんな若かりし頃の秘話を懐かしそうに話してくれたものだった。

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 何百人も参列するお祝いの席で突然、「セックスは長く、挨拶は短く」と話し出した大山健太郎氏。その“意外すぎる素顔”とは――。以下のリンクから続きをお読みいただけます。

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