45年間にわたり、「ヤクザ」と呼ばれる人々を取材してきたフリーライターの山平重樹氏。そんな山平氏が、ヤクザたちの意外な素顔や、これまで世に知られていないエピソードを綴った著書『私が出会った究極の俠たち 泣いて笑ってヤクザ取材45年』(徳間書店)を上梓した。

 ここでは、同書より一部を抜粋し、稲川会最高幹部の大山健太郎氏の素顔を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)

写真はイメージ ©アフロ

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イメージに反して弁舌爽やかなヤクザの組長の名前

 私は口下手でアガリ症、人前でうまいこと喋れないタイプの典型なのだが、ヤクザ渡世の親分衆も、どちらかというと、人前で挨拶やスピーチは苦手という人が多くを占めているように感じられる。

 なにしろ子供の頃から口より先に手が出てストリートファイトに明け暮れてきたという人たちのほうが、弁論大会で優勝したとか、生徒会活動を熱心にやった経験がある人より圧倒的に多いだろうから、それもむべなるかな(ただし口下手の人でも“掛けあい”となると、別人となるケースも多々あるという)。

 ところが、中には例外的に驚くほど弁舌爽やかな親分もいて、私もその見事なスピーチに唸らされたことが少なからずあった。

 たとえば、稲川会・稲川裕紘三代目会長襲名披露の際の、今も語り草とされる住吉会・西口茂男会長の名挨拶、あるいは業界のスポークスマン的な立場で、反暴対法の論陣を張り、テレビの討論番組にも出演して持論を述べた四代目会津小鉄の髙山登久太郎会長の堂々たる弁舌、また稲川会・稲川聖城総裁の側近だった森泉人氏の挨拶の上手さも際立っていた。

 現役時代、“山口組のキッシンジャー”の異名をとった黒澤明氏のスピーチも、私は氏の引退後、大きな会場で3度ほど聴いたことがあるが、高校時代、生徒会長(かつ番長でもあった)をしていたというだけに、さすがに慣れた感じで上手かった。

弁が立ち、見事な挨拶ができた大山健太郎氏

 さて、渡世人の挨拶の上手さということでいえば(テキヤの親分は概して上手いのだが)、私の中での極めつきは、稲川会・稲川裕紘会長時代、最高幹部だった大山健太郎氏である。

 ともかく大山氏ほど弁が立ち、話が上手く、見事な挨拶ができた人も稀だったのではあるまいか。何ら準備もせず、いきなり挨拶の代わりを振られても、いくらでも話のできた人で、おそらく依頼されれば、1時間や2時間の講演もこなせたのではないか。

 むろん堅苦しいだけの話ではなく、ユーモアもたっぷり盛り込んで聴き手を魅きつける話術も巧みだった。よほど頭の良い人であったのだろうと思う。

 1度、度肝を抜かれたことがあった。平成6年11月11日、東京・六本木のTSK会館で行われた松葉会初代町屋一家若者の放免祝いにおいて、大山氏が挨拶に立った時のことだ。