プロ野球選手は、母親業に近いと思う。どちらも減点法の世界だからそう思う。やって当たり前、できて当たり前。完璧にこなしてふつう。だから少しのミスが、大失敗と見なされる。野球選手は打って守って当たり前だし、母親はすぐに風邪を引いたり少し目を離した隙にケガしたりする子どもを注意深く見守りながら、無事に育て上げて当たり前だ。もし少しでも何かが起きればそれは近くで面倒を見ている母親の責任になる。でも母親が子どもを見るのは当然のことで、子どもを産めれば自然とそういう能力が身に付くものだと思っていた。実際に、自分が母親になるまでは。

「何かやってくれるかもしれない」という予感

 1年にも2年にも感じられたファーム生活から、ようやく倉本選手が1軍に帰ってきた。たとえスタメンでなくても、ベンチにその息吹が感じられるだけで私は嬉しかった。チーム状態はあまり良くない。去年の、たとえどんなに点差をつけられても、奇跡が起こりそうなあの予感のようなワクワクが、薄らいでいるように感じていた。「最近ちょっと好きになったくらいで、そんなことわかるもんか」と夫は見下したように笑う。だけど私はそういうところに惹かれたの。ベイスターズの、倉本選手の、何かやってくれるんじゃないかという予感に。何のサプライズもない人間だから、余計に憧れるの。

 倉本選手の「何かやってくれるかもしれない」というその予感が、時に反対側のベクトルにファンの気持ちをひっぱるというのは、インターネットを通じて嫌というほど感じたことだった。倉本選手には、「アンチ」と呼ばれる人たちがたくさんいた。倉本が何をしても気に食わない、そういう人たちが世の中にたくさんいることを知った。打撃や守備に関してだけでなく「表情が乏しくてなにを考えてるかわからないからイラつく」という理由で批難している人もいる。野球選手なのに。

ADVERTISEMENT

 クラスのいじめと同じだなと思った。誰かが言ってるから、みんなやってるから……それはいつのまにか大きな正義となって攻撃への免罪符となる。そこに理論も理屈もない、どんなにいいプレーをしても「気に食わない選手」というだけで倉本は悪になる。倉本のことをたくさん知りたいと思って始めたSNSは、私の心を少しずつ殺していく毒物になっていった。そして8月5日のカープ戦、とあるツイートで微かな悲鳴とともに心は死んでいった。

昨季はフルイニング出場を果たしたが、今季は2軍落ちも経験した倉本寿彦 ©文藝春秋

中国新聞のツイートで目にした「お粗末」という文字

 あの日の試合、9回の土壇場でベイスターズはカープに追い付き、5ー5の同点に持ちこんだ。これがベイスターズだ。私の好きな、何が起きるかわからないベイスターズ。しかしさすが今ぶっちぎりで首位を走るカープ、次の回にすかさず1点勝ち越してベイスターズを追い詰める。そして10回裏、田中浩康が相手エラーで出塁。まだまだ諦めない、そんな空気が再びハマスタを支配し始めた時、バッターボックスに立った倉本の打球は、ふらふらと舞上がった。セカンドフライだった。「ここで一番やっちゃいけないやつだよ」いつのまにかおふろから上がっていた夫が、神妙そうな、でも何か言いたくてたまらないような表情でこっちを見ていた。私だって、私だってそれくらいわかる。次のバッターが併殺打に倒れて、試合は終わった。

 あそこで倉本が繋いでいたら……私が感じてもしょうがない後悔とやるせなさに襲われていた。もしかして、とても難しいボールだったのではないか、詳しい人はどんな風に見ていたのか……藁にもすがるような思いだった。最近遠ざかっていたツイッターを、おそるおそる開いた。でも私の目に飛び込んできたのはこんなフレーズ。

〈倉本のお粗末な打撃で、高橋樹復調。3アウト目はリプレー検証へ
2018年08月05日 22:13〉

 それは「中国新聞カープ番記者」というアカウントが発したツイートだった。新聞社に所属している、カープ専門に取材を行う記者のツイート。プロ野球選手を専門的に取材している記者がせせら笑うように放った「お粗末」という文字が、喉元をぎゅうぎゅうと締め付けていた。タイムラインでは「プロだから言われて当然でしょ」「実際にお粗末だし」「中国新聞ってそういう芸風だから」という意見と「相手チームの選手を実名で貶すのが番記者のやることなのか」「とにかく謝罪しろ」という意見が真っ向から対立して、ツイートは炎上していた。