『デモクラシーのいろは』(森絵都 著)KADOKAWA

 難しい題材で600ページを超える大作なのに、読みはじめたらとまらない。森絵都6年ぶりの長編小説『デモクラシーのいろは』は、民主主義とは何かという問いに真っ向から挑んだエンターテインメントだ。

 1946年11月、日本の民主化政策が進まないことにしびれをきらしたGHQは、ある実験を行うため、東京・下落合の邸宅に4人の若い女性を集める。安定した衣食住と民主主義教育を与え、日本人のなかでも意識の改革が“遅れている”女性の生き方が変わるかどうか試すという実験だ。

 風変わりな教室の生徒として選ばれたのは、東京生まれで元華族の真島美央子、静岡生まれで実家は農家の近藤孝子、横浜生まれで洋裁店の娘の沼田吉乃、青森生まれで経歴不詳の宮下ヤエ。半年間にわたる民主主義のレッスンを追っていく。

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 まず秀逸なのは、教師のリュウ・サクラギを軸に描いているところだ。リュウはロサンゼルス生まれの日系二世。自由と平等を礎とするアメリカに人種差別があることを知っている。戦勝国が敗戦国に自分たちのイデオロギーを善いものとして植えつけることにも懐疑的だ。真珠湾奇襲によって在米日系人を苛烈な迫害に追いこんだ日本に対しては複雑な思いを抱えている。

 そんなリュウが戦時中は国や軍部に騙されていたと思っている生徒たちに〈人は自分に都合のいい物語を他者に押しつけます。それを、そのまま信じて受けいれるのは危険です。民主主義の基本は、君たちが、自分自身で考えた物語を生きることです〉と言うくだりがいい。

 アメリカン・デモクラシーを全肯定するのではなく、生徒たちと一緒に民主主義のいろはを学ぶ。女性と接することは苦手で、不器用な一面もあるけれども、誠実な先生なのだ。

 4人の生徒は戦争で家や家族を失った。実験に参加したのは生き延びるためだ。リュウの言葉を受けとめるのはまじめな孝子だけ。もともと優秀な美央子は授業の内容が物足りない様子で、勉強が嫌いな吉乃は好き勝手な行動をとり、ヤエは居眠りしてばかりいる。しかし、何事も強制してしまったら民主的とは言えない。リュウは胃痛に苦しみながら、みんなが自主的に学びたくなるカリキュラムを構築するべく奮闘する。

 例えば、殺風景な和室を教室らしくするにはどうしたらいいかという課題を出す。4人はこれまでと違う態度を見せるが……。その後巻き起こる騒動は、可笑しくも切ない。意外な人物が素晴らしい答えを出す場面には感動をおぼえる。試行錯誤を繰り返すうちに、少しずつリュウと生徒たちの関係は変わっていく。いろんな事件が起こって、4人の人生にも転機が訪れる。作中で流れる時間はたった半年なのに濃密だ。

 戦後民主主義が輸入されてから80年。いまだにちゃんと実践されているとは言いがたい。それでも希望はあると思える一冊だ。

もりえと/1968年生まれ。91年『リズム』で講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー。99年『カラフル』で産経児童出版文化賞、2003年『DIVE!!』で小学館児童出版文化賞、06年『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞、17年『みかづき』で中央公論文芸賞を受賞。
 

いしいちこ/1973年生まれ。ライター、書評家。著書に『文豪たちの友情』『名著のツボ』、インタビュー集『積ん読の本』。

デモクラシーのいろは

森 絵都

KADOKAWA

2025年10月2日 発売