第一幕と第二幕の繋がり

 生島 白洲正子さんが『私の百人一首』という作品で、「六十の手習」について記しています。60歳で何かを新しく始めるのではなく、それまで積み上げてきた分野を、もう一回勉強し直して、新たな視点を発見するのが「六十の手習」である、と。

生島淳さん Ⓒ文藝春秋

 清水 それは「一身二生」においても凄く大切な考え方ですね。

 生島 「バルセロナでの豆腐屋の主人」としての日々も、「新聞記者」としての人生と切り離せなかったのではないですか。

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 清水 忠敬は、前半生で得た知恵や財産を後半生に活かしていますが、私も記者としての人生がなかったら、おそらくバルセロナに行くという発想はもてなかったでしょう。

 生島 「一身二生」といっても、人生の「第一幕」と「第二幕」で、いきなり180度、変わるわけではない。第一幕の経験が、第二幕では違う形で活かされる。

 僕は10年で会社を辞めましたが、今の仕事に活きる経験がたくさんありました。

 そもそも清水さんは、バルセロナで豆腐屋を開業することを、いつ思い付いたのですか。

 清水 もともと私は事件記者でしたが、38歳の時、急に「世界名画の旅」という企画の取材班へ、異動を命じられたんです。

 生島 僕、その連載を纏めた本を、学生時代に買いましたよ!

 清水 本当ですか、すごいご縁ですね。その企画で世界各国を回ることになったのですが、バルセロナがいちばんよかった。黄色いアジア人がいるという視線を感じなかったのは、バルセロナだけでした。退職後はあそこで暮らしたいな、と考え始めました。でも、私は豆腐が大好きで、バルセロナには満足のいく豆腐が売っていなかったから、ならば自分で豆腐屋をやるしかない。それで移住の準備をしつつ、定年後に豆腐屋に弟子入りして、豆腐作りを学んだんです。

バルセロナで豆腐を作る清水氏(本人提供)

 生島 すごい展開です! 「豆腐がないならば、自分で豆腐屋をやるしかない」なんて普通は思わない(笑)。しかし朝日新聞では、論説委員まで務められたわけですから、物書きとしての未練はなかったですか?

 清水 私は退職する前日まで原稿を書き続けて、やり残したことはなかったつもりですが、退職後にネットメディアで少し働かせてもらいました。でも、私はネットの検索もうまく使えないし、ガラケーしか使えない旧世代ですから、ネットメディアに居場所はなかった。それを確認できて、未練は完全に断ち切れました。

 生島 第一の人生で「やり切った」と思えることは大切かもしれませんね。僕の場合は、学生時代から文筆業への憧れがあって、代理店に勤めている時も、並行してライターをしていたほどで、さすがに「やり切った」とは言いづらいです(笑)。むしろ、今の仕事で悔いを残したくない。

 清水 ただ、「やり切る」のは必要条件ではないと思いますよ。たとえば、私は宮内庁を担当していた時期がありますが、皇宮警察は何も起こらないのが当たり前。おそらく「やり切った」と実感するのは容易でないでしょう。

 生島 確かに、仕事のあり方はさまざまですね。

※本記事の全文(約5000字)は、月刊文藝春秋12月号と、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(清水建宇×生島淳「二つの人生を上手に生きるコツ」)。 全文では、下記の内容をお読みいただけます。
・「一身一生」も素晴らしい
・「忙人不老」の思考

出典元

文藝春秋

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