講釈師(講談師の前身)・馬場文耕を主人公とした初の時代小説『暦のしずく』を上梓した沢木耕太郎氏と、幅広い世代から人気を集める講談師・神田伯山氏。初対面となるふたりが、講談の世界について語り合った。
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講談が宝の山に見えた
沢木 こう言ってはなんだけど伯山さんが出てくる前、講談界は相当、分が悪い世界だったという気がする。話芸の道に入るとき、講談以外にも選択肢はあったはずなのに、なぜ講談を選んだんですか?
伯山 10代の頃に講談の会に行った時、「あ、これ滅びるな」って分かったんです。なにせ僕以外のお客さんは、ほとんどお爺さん。分が悪いどころか、この先はぺんぺん草も生えていない。未来があるとは到底思えなかったわけです。でもそれに対して僕は、どんどん講談を好きになっていきました。それで生意気にも「もっと、こうすればいいのに」とか、「もっと若い男で生意気な奴がでてこないかな」とか、あれこれ考えながら聞いていた時、「あれ? これは俺がやったほうがいいんじゃないか?」と思ってしまった。人前に出てしゃべったこともないのに。若いって面白いですよね。
沢木 そこが自分の生きる場所だと思いこんでしまった。
伯山 並べるのはおこがましいですが、沢木さんが『深夜特急』で、眼を覚ました時に「ぐずぐずしてはいられない」と思って旅に出た、あの感じに近いかもしれません。
それからまず、神保町で古本を探したり、図書館で片っ端から講談のCDをMDに4倍速でダビングしたりして資料をかき集めた。そうすると古典落語は約500席しかないのに、講談は4500席以上もあることがわかったんですね。僕にはそれが宝の山に見えました。もう誰にも頼まれていないのに使命感というか、自分で集めた情報が、自分の背中をどんどん押すんですよ。
沢木 面白いですね。
伯山 この時点では、ひたすら本を読んだりして経験値を貯めているだけ。一歩も動いていない。でも、「俺は講談師になるべきだ」と思い込んでいる。今思えば、危険な思想家のようになっていた(笑)。
沢木 元から、話すことは得意でしたか?
伯山 特別な能力があるとは、まったく思わないですが、小学校の時の音読でたまたま詰まらずに読めて、先生に「上手だね、読むの」と言われたことは覚えていますね。勉強で褒められる生徒ではなかったので、唯一褒められたと記憶してます。

