『ヘレディタリー/継承』(2018年)や『ミッドサマー』(2019年)で現代ホラー映画を刷新した鬼才アリ・アスターが、コロナ禍の現実を正面から描いた。最新作『エディントンへようこそ』は、これまでの作風を大胆に覆した“炎上スリラー”だ。
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コロナ禍の現実を映画にする
舞台は2020年春、アメリカ・ニューメキシコ州。パンデミックのためロックダウン状態の町で、反マスク派の保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)と、IT企業の誘致を謳う進歩的な市長テッド(ペドロ・パスカル)が対立。次期市長選はテッドの独壇場とみられていたが、ジョーが出馬を宣言し、2人は自らの正義を声高に訴える――。
描き出したのはコロナ禍の混乱と、人々の対立が生んだ社会の分断だ。アスターは、「これは今まさに起きていること」と語った。「僕たちは2020年の出来事を消化しきれないまま、あのころ始まったプロセスの中を今も生きています。映画が完成した後も、状況はますます悪化しているのです」
ニューメキシコはアスターが青春時代を過ごし、コロナ禍には家族と生活していた土地だ。『ヘレディタリー/継承』では家族の身に起きた出来事、『ミッドサマー』では失恋経験と、自らの体験を創作に反映してきたアスターは、今回もそのスタンスを変えていない。
「ニューメキシコでコロナ禍の毎日を送るなか、これは破滅的な状況だと感じました。人々はウイルスを恐れて慎重になり、ロックダウンが永遠に終わらない不安におびえている。そのなかで、あらゆる物事が政治化していったのです」
「誰もがアルゴリズムの影響を受けている」
本作の原型となったのは、アスターが『ヘレディタリー/継承』以前に構想していた“歴史修正主義の西部劇映画”。コロナ禍を踏まえ、アスターは「今こそ再びトライできるのではないか」と当時のアイデアに回帰した。米国メディアのインタビューでは、西部劇とは「アメリカの夢を描きながら、優れた作品ではアメリカの現実にも対峙できるもの」と語られている。
『エディントンへようこそ』が現代の西部劇であり、またキャッチコピーの通り〈炎上スリラー〉である理由は、町の人々を激しい対立に導くのが、ならず者の第三者でも、強烈な極悪人でもなく、ほかでもない“インターネット”だからだ。登場人物たちはパソコンやスマートフォンによって情報に触れ、対立の溝を深めてゆく。


