体系的な主張は存在しない?
既存政党が既得権を持つエリートと位置付けることができれば、あとはその場でウケる言葉が高い効果を発揮していく。なぜなら、彼らの唱える言葉はあくまで「反エリート」のスローガン以上の意味を持たないからだ。有権者への説明や理詰めの説得などは一切気にせずに「日本人への気持ち」を込めて訴えることだけに集中すればいい。
大手メディアがこぞって参政党は排外主義的だと批判したが、言葉は空を切った。体系の無さや主張の矛盾はポピュリズム政党のダメージにはならないからだ。主張に理詰めで論争を仕掛けても、神谷は「問題提起のつもりだった」とあっさり言えてしまう。政治的な立場が異なる私のインタビューでも好戦的な論破ではなく、意見の違いを素直に認める柔軟さは印象に残った。取材でもよく聞いたのは、支持層の「日本の政治家が日本人を第一に考え、大切にするのは当たり前」といった声だ。それに応えているという姿勢のほうが批判よりもずっと真摯に響いてしまっているのが現実である。
日本に限った話ではないが、最大の課題は既存政党が単なる古いものに成り下がってしまい、議席減少を重ねている点にある。ポピュリズム研究の到達点は、彼らに「正しい解」を示す力はないが、「正しい問い」は発していると認めることだ。解は既存政党が示さなければ、政治システムそのものが揺らぐ。左右のポピュリズムが「普通の人々」を取り込んで台頭した参院選の結果は、現役世代の漠然とした不安に自民党をはじめとする既存政党が答えを出せていないという問題を浮き彫りにした。ポピュリズム政党に支持者を奪われたくなければ、自らが変わり、説得的な解を示すことに尽きる。この波はまだまだ続く。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2026年の論点100』に掲載されています。


