児灌頂とは、稚児を観音菩薩の化身として聖性を付与するというもの。僧侶が稚児を犯すことで、稚児が観音菩薩のステージまで昇華されるのだ。聖なる存在になった稚児との交接は、僧侶にとっても悟りを得るために必要なこととされた。こうして天台宗における男色は児灌頂という「秘儀」を通じて、継承され続けるのである。
生々しい「稚児草紙」の描写
醍醐寺三宝院には、鎌倉時代の絵巻物『稚児草紙』が所蔵されている。そこには僧侶と稚児が交接する様子が生々しく描かれている。その舞台は仁和寺や法勝寺などである。日本仏教史における男色文化を紹介する、貴重な絵巻物といえる。
例えば、第1段は仁和寺の高僧が初めて稚児を犯す場面である。第3段では京都の嵯峨の僧侶が稚児に恋心を抱き、風呂場で交接するシーンが描かれている。第5段では、京都の北山で若い僧侶が灯明を持って、稚児と交わる様が描写されている。
95人の稚児と同衾した東大寺別当
松尾剛次著『破戒と男色の仏教史』(平凡社、2008年)でも、様々な男色の事例が紹介されている。例えば、鎌倉時代に東大寺別当まで務めた宗性(そうしょう)は36歳の時に、煩悩を封じるために誓いを立てる『禁断悪事勤修善根誓状抄』を綴っている。その中の「5箇条の誓文」は1237(嘉禎3)年のものだが、当時の宗性の性衝動と苦悩がありありと感じられる内容になっている。
一、四一歳以後は、つねに笠置寺に籠るべきこと
二、現在までで、九五人である。男を犯すこと百人以上は、淫欲を行なうべきでな
いこと
三、亀王丸以外に、愛童をつくらないこと
四、自房中に上童を置くべきでないこと
五、上童・中童のなかに、念者(懇(ねんご)ろになる稚児)をつくらないこと
右、以上の五力条は、一生を限り、禁断すること以上の通りである。これすなわち、身心清浄・内外潔斎し、弥勒に会う業因を修め、兜率天に往生を遂げるためである。今から後は、この禁断に背くべきでないこと、起請は以上の通りである。