丸谷才一は短篇小説をあまり書かなかった。長篇小説を仕事の中心に据え、批評やエッセイにも旺盛に取り組んだが、発表された短篇は数えるほどしかない。
本書は1990年代に書かれた3篇と、2012年の没後に発見された1篇をあわせた最後の短篇集だ。
時代小説を得意とする“直木賞作家”の実生活と、彼女の密かな思いが託された短篇が丸ごと引用される表題作。大昔に喧嘩必勝法を教えた少年が知らぬ間にヤクザになってしまったのではと戸惑う「墨いろの月」。死んだ戦友が現代に現れる「おしやべりな幽霊」。1945年8月15日の朝、重大発表が掲載された新聞をめぐる列車内での駆け引きを描く「茶色い戦争ありました」。以上の4篇。
重いようでいてふわふわ浮遊するようでもある、名状しがたい感情に襲われるのは表題作「今は何時ですか?」である。歌舞伎の起源がひもとかれた冒頭に面食らう読者もいるかもしれない。しかしこれは連載が途中で打ち切られ、本になってからも売行や評判はいまひとつ、懇意な編集者さえ触れたがらない、作家にとっては愛着のある小説の紹介なのである。
仕事の依頼にやって来た男がこの小説を無闇に誉めそやす。やがてふたりは関係をもつのだが、男はあるとき忽然と姿を消す。なんらかの事件に巻き込まれ、死んだのではと疑う作家は、男を密かに鎮魂するための1篇の小説を書く。
後半はその短篇小説である。――早世する建築家の弟と、年の離れた姉の物語。天使のようでいて幸薄い弟に、姉はなにができるのか。読み進めるうち、読者は姉の心情をわがもののように感じ、弟の面影を愛おしむようになってゆく――。
技巧を凝らした小説内小説が、失われた幼い記憶を甦らせ、前世までさかのぼる展開――傑作短篇集『樹影譚』(文春文庫)をお読みの方なら、この短篇が「樹影譚」と対をなすものだと気づくだろう。
丸谷才一は明治以降の日本文学の、自然主義文学に端を発する私小説的風土を好まず、社会や国家、歴史にまきこまれてゆく個人を長篇小説のダイナミズムのなかで描こうとした。主人公は職業をもち、分別がある大人たちばかりだった。
一方、丸谷才一の短篇には幼い者たちや何者とも定まらない若者がしばしば登場する。仕事に就いていれば与えられた役割と忙しさに紛れ、感じないままで済んだかもしれない人生の不可解を、寄る辺ない者たちは素手でつかむ。
著者の自伝的要素がそのまま短篇に反映されているわけではない。が、まだ何者でもなかった頃の丸谷才一の、不安や孤独が登場人物に託されているのではと感じられるのはなぜだろう。
小説家になり批評家となっても、人生の不思議から逃れることはできない。そんな呟きまで聞こえてくる惜別の短篇集である。
まるやさいいち/1925年山形県生まれ。小説、評論、エッセイ、翻訳と幅広く活躍。代表作に『笹まくら』『年の残り』『たった一人の反乱』『裏声で歌へ君が代』『女ざかり』など。2012年没。本書は生誕100年記念として昨年12月に刊行されたもの。
まついえまさし/1958年、東京都生まれ。小説家。最新刊は『天使も踏むを畏れるところ』。編集者時代に丸谷才一の担当を務めた。
