1983年、医学部に通う優秀な姉が、突然、統合失調症を発症した。現実とは思えない言葉を叫び始めた。しかし、研究者で医師でもある両親は「問題ない」として医療から遠ざけ、ついには南京錠をかけて家に閉じ込めた。
弟である藤野知明監督は、20年にわたってその家族を記録し、ドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』として公開。今年1月には同名の書籍『どうすればよかったか?』(文藝春秋)も刊行された。
両親ともに医師免許を持つエリート一家で、何が起きていたのか。藤野監督へのインタビューから、その壮絶な日々と家族の葛藤を紐解く。
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「突然、隣の姉の部屋から叫び声が…」優秀な姉が見せた変調
藤野監督の家庭は、父が生理学、母が薬理学の研究者で、共に医師免許を持つ。父は定年後に叙勲され、母は大学教授として教科書を執筆するほどだった。
8歳上の姉は、そんな両親のもとで優秀に育った。中学時代は生徒会の副会長を務め、友達も多く、多才だったという。特に父への尊敬は強く、藤野監督は「尊敬を通り越して、崇拝していた感じがあったんですね」と振り返る。
姉は、医師であり研究者でもある父の背中を追い、仮面浪人も含め4年間の浪人生活を経て、念願の医学部に入学した。しかし、大学での人間関係に悩み、孤立していったようだ。その頃から、姉の言動に少しずつ変調が見られ始める。
「自分は優秀だ」という手紙を単身赴任中の父に送ったり、大学からの帰り道に木の枝や空き缶などのゴミを両手いっぱいに抱えて帰ってきたりするようになった。そして1983年の春、事態は急変する。姉が24歳、藤野監督が高校2年生の時だった。
夜7時か8時頃、突然、隣の姉の部屋から叫び声が聞こえた。藤野監督は当時の状況をこう語る。
「布団の中で唸ったり叫んだりしていたんですが、内容はとにかく現実とは思えない話をくり返していて。1つだけ覚えているのは『パパがテレビの歌番組に出て歌っていた時に応援しなくてごめんね』という内容です」
「激昂してきて、食卓に飛び乗って…」次第に変化していく姉の状態
母が救急車を呼び、姉は病院に運ばれた。しかし翌日、関東から帰宅した父と共に、姉も家に帰ってきたのである。父は「主治医から『まったく問題ない』『精神病院に入院すると心の傷になるから』と言われて連れ帰ってきた」と説明した。両親が医師であること、そして精神科医の判断だという説明に、当時の藤野監督は疑う余地がなかったという。
だが、父の「問題ない」という言葉とは裏腹に、姉の状態は安定しなかった。突然叫び出すことが続き、コミュニケーションも次第に困難になっていく。
「ごはんを食べている時に姉がだんだん激昂してきて、食卓に飛び乗って食器が飛んでいっちゃうみたいなこともありました」と藤野監督は語る。
また、ある時には警察に110番通報し、「地下鉄の駅に裸の女がいるから、逮捕してくれ」と泣き叫ぶこともあった。それでも両親は姉を病院に連れて行こうとはしなかった。藤野監督は、1983年当時の精神疾患に対する偏見や、治療よりも社会から排除する「収容主義」が背景にあったのではないかと推測する。
父が姉のお茶にこっそりと液体を…両親への不信感を募らせる出来事
家族の雰囲気は悪化し、藤野監督と両親は姉をめぐって年がら年中口論するようになった。さらに、藤野監督は両親への不信感を募らせる出来事を目撃する。
父が姉のお茶にこっそりと液体を入れている姿を何度か見たのだ。それは10年ほど後になって向精神薬だったと判明するが、当時は否定され、引き下がるしかなかった。
何も対応しない両親への不信と怒り、そして出口の見えない日々に、藤野監督自身も精神的に追い詰められていった。
「日々思いがけないことが起きるし、はずみで両親を『殺すかもしれない』と思い詰めたこともありました」
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