雅子さまは「これで自分は結婚できないかもしれない、とも……」

〈外交官の父を持ち、幼いころから外国暮らしが長かった。外交官に、とはっきり決意したのは、アメリカ・ハーバード大学を卒業後、帰国するか、それともアメリカに残ってキャリアを積むか、の選択を迫られた時だった。「アメリカに残ると根なし草になるような気がしたんです」

 仕事を持って生きる、ということに迷いはない。「ハーバードでは、女性でも仕事をもつのが当たり前でしたから」「ただ、いよいよ外務省から内定をもらった時、これで自分は結婚できないかもしれない、とも……。両立させたいですね」〉(1987年12月25日付)

 当時のプロフィールには、〈外務省経済局国際機関2課。米ハーバード大経済学部卒、東大法学部中退の24歳〉とあり、皇太子さま(当時)とは初対面を経た時期でもあった。当時の雅子さまと愛子さまのお立場は異なるが、仕事や結婚について、かつて雅子さまがこうした思いや葛藤をお持ちであったことは、もしかするとご家族の中でも共有されているかもしれない。

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外務省第2部研修員入所式(1987年4月1日付)。小和田雅子さん(当時)は前から2列目、左から4人目 宮内庁提供

 雅子さまが名誉総裁を務められる日本赤十字社で勤務されるお姿や、ご一家そろっての公務でも両陛下をサポートするご様子を見せられる愛子さまを、天皇陛下と雅子さまは頼もしく思っておられることだろう。

 だが、愛子さまの今後については、国会で議論されている「皇族数確保」の問題とも重なり、制度や法律に踏み込んだご発言は難しい。1年ぶりに再開された与野党協議では、秋篠宮さまが述べられた「該当する皇族は生身の人間」(2024年、誕生日会見)であることをふまえた議論は行われるのだろうか。

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