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プロ野球史上最高のアップ率、133倍の年俸を勝ち取った鉄腕

 プロ野球記録の9年連続60試合登板を含む、通算642試合に投げまくった背番号47。山口鉄也も始まりは育成選手だった。高校卒業後、アメリカのマイナーリーグで4年間もプレーするもまったく芽が出ず、オフに帰国するとコンビニバイトの日々。日本のプロ球団の入団テストにも落ちて、最後のダメ元試験で巨人に拾われた無名のサウスポーは、育成ドラフト第1期生として06年に年俸240万円でプロ生活をスタートさせた。

 その後、07年4月に支配下登録。それからブルペンの中心で投げ続け、巨人が5冠達成した12年シーズンには144試合のちょうど半数の72試合に登板すると防御率は驚異の0.84。47ホールドポイントで最優秀中継ぎ投手賞を獲得。8年目の2013年オフの契約更改ではついに年俸3億2000万円にまで到達した。育成出身選手の3億円到達は史上初の快挙、1年目から133倍のアップ率はオリックス時代のイチローを抜いてプロ野球史上最高となった。まさに死にたいくらいに憧れた花の都・大東京で“イクセイドリーム”を実現した男である。さすがに近年は勤続疲労の影が忍び寄り、17年は18登板、今季はキャンプ二軍スタートで一軍登板なし。イースタン16試合で防御率5.65という数字が残っている。

“イクセイドリーム”を実現した山口鉄也 ©文藝春秋

巨人育成選手の象徴・山口鉄也の偉大さ

 あらゆる“育成出身初”の記録を打ち立てた08年新人王の山口、09年新人王の松本哲也という当初の成功例が巨人育成制度を維持させたと言っても過言ではない。元GM清武英利氏の著書『巨人軍は非情か』を読むと、育成選手をひとり抱える費用として、キャンプが春と秋で150万、遠征費50万、ジャイアンツ寮費300万、雑費100万で1人あたり年間平均600万円と書き記している。もちろん他に個別の年俸も支払う。だが、山口鉄也と松本哲也以降は、巨人で長期間に渡り一軍で活躍した育成出身選手はしばらく出ていなかった。

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 それが2018年、アダメス、メルセデス、マルティネスと3桁の背番号をつけていた外国人選手たちが続々と支配下登録され、メルセデスはローテの救世主として球団育成出身初の完封勝利も挙げた。彼らを育てたそのシステムのベースにあるのが、背番号47のセ・リーグ史上1位の通算273ホールドという金字塔だ。いつか育成から“第2のぐっさん”のような選手を。ドミニカトリオも、そんな巨人の育成制度から這い上がってきた。

 早いもので、83年生まれの鉄腕も11月で35歳。中日のレジェンド岩瀬仁紀や阪神の頼れるリリーバー藤川球児のように昔とは違う役割で戦力に……とも思うが、軽々しく言える状況ではない。それでも、山口鉄也はこれまで何度も絶対無理という状況で不可能を可能にしてきた男だ。もの静かで温厚そうに見えるが、06年オフに支配下登録が見送られると、なんと球団関係者に直接電話して「納得がいかないです」なんつって執拗に食い下がってみせたのだ。まるで試用期間の新入社員が社長に直電かますくらいのハングリーさ。何も持たない若者が「なんで俺じゃないんだ」と巨大な組織に食らいつき、どんな起用法にも文句を言わず投げ続け、圧倒的な結果を残し、育成制度に光を当てた。その功績は本当に偉大だ。

 今、東京ドームのナイターでメルセデスの勇姿を見ると、何十人という育成選手の夢が散った歴史を、あの朝9時半のジャイアンツ球場の青い空を、そして背番号47を思い出す。

 数々の奇跡を起こしてきた、山口鉄也のイクセイドリームはまだ終わっていない。そう信じて、鉄腕の復活を待ち続けようと思う。

 See you baseball freak……

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