1963年から64年にかけて全国を逃げ回り、詐欺と殺人を重ねた西口彰。その逃亡劇の末路を決定づけたのは、警察の大包囲網ではなく、熊本県玉名市の寺にいた10歳の少女が抱いた「違和感」だった。

写真はイメージ ©getty

 警察庁長官が「警察官12万人の目は、1人の少女の目にかなわなかった」と語った一件は、西口事件の中でもとりわけ印象的な場面である。本記事では、映画「復讐するは我にあり」のモデルにもなった西口彰の犯行の全貌ではなく、その逮捕につながった数日の緊迫に絞って振り返る。

「彼は悪魔の使者だ」 10歳の少女が見抜いた逃亡犯の正体

 西口は、福岡で2人を殺害して全国指名手配となった後も、偽装自殺を図り、大学教授や弁護士を名乗って各地を転々とした。静岡県浜松市の貸席「ふじみ」では、京都大学教授の「正岡」を騙って女将の藤見ゆきさんとその母はる江さんの信用を得た末、金が尽きると2人を絞殺。

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 さらに東京では弁護士の神吉梅松さんを殺害し、遺体をタンスに入れたまま数日を過ごしている。

 そうした逃亡の果て、1964年1月2日、西口は東京の弁護士「川村覚次」を名乗って熊本県玉名市の立願寺に現れる。

 寺の住職・古川泰龍さんは、福岡刑務所の教誨師でもあり、免田栄さんの釈放運動に尽力していた。西口はその活動を支援したいと申し出て一家に迎えられたが、二女るり子さんだけは男の顔に見覚えを感じていた。

「彼が殺人犯の西口だ」

 るり子さんは、町の掲示板に貼られた西口彰の指名手配写真を通学中によく見ていたという。顔立ちが似ているだけでなく、写真にある「二つのはっきりとしたほくろ」まで同じだった。彼女は両親に「彼が殺人犯の西口だ」と訴えたが、古川さんは当初、客人に対して失礼だと取り合わなかった。だが、るり子さんは引き下がらず、「いや、彼は悪魔の使者だ」と強く反論する。

 この言葉が、古川さんを動かした。改めて男の言動を観察すると、ベテラン弁護士を自称しながら法律知識は素人並みで、不自然さが目立った。古川さんは指名手配ポスターを見直し、娘の見立てが正しいと確信する。

 そこで西口を警戒させぬよう家の一室に泊め、別室に鍵をつけて家族を避難させ、妻が話し相手となって時間を稼ぐという、危うい対応に出た。

 23時過ぎ、西口が眠ったのを見届けると、古川さんは妻と長女を警察へ向かわせた。すぐに大人数は集められないとされたものの、確認の結果、「川村覚次」という弁護士本人は東京にいたことが判明し、熊本県警は捜査員を動員して寺を包囲した。翌3日午前4時ごろ、西口は異変を察したのか、急いで出立しようとした瞬間、警察官に逮捕された。78日間の逃亡は、こうして終わった。

 逮捕後、西口は古川さん一家を皆殺しにして金を奪い、沖縄へ逃げる計画だったと供述したという。少女の直感がなければ、さらに惨事が起きていた可能性があったのである。

 事件後も古川さんは「犯罪者は心の病気」という信念のもと、西口と文通を続けた。

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 5人を手に掛けた男はその後⋯⋯事件の詳細は以下のリンクからお読みいただけます。

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