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「野球をやらなくていい生活」の辛さ

 12月になり、野球をやめることを決めた。そこから、人生で初めてに近い「野球をやらなくていい生活」が始まる。小学校3年生で野球を始めて24歳で野球をやめるまでの約15年、1日として野球のことを考えない日はなかった。2日続けて休んだことはないし、休日でも頭の中は基本的に野球のことを考えていた。プロに入ってからは、24時間365日野球のことは頭の中に必ずあった。それが仕事なのだから、当たり前である。

 野球をやめると決めた今、今日も、明日も、明後日も、その先もずっと、野球のことは考えなくてもいいし、練習もしなくていい。それは、ある種15年ぶりに手に入れた自由なのだけど、いきなりやってきた自由を簡単には受け入れられなかった。

 一日に一度も心拍数が上がることもなく、寝る前に体のどこかが張っている感覚もなく、朝起きて肩の可動域をチェックする必要もない。バットを振る必要もなければ、明日対戦するピッチャーのことを考える必要ももちろんない。ただ、あまりにも長い時間そのことを繰り返していたため、クセが簡単に抜けてくれない。それが、非常に辛い。寝る前にはバットを触らなければ落ち着かないし、目を閉じれば自分がホームランを打つイメージが自然と始まる。そのイメージや習慣が生かされる舞台はもう来ないのだ。そのことに気がつくのが怖くて、目を開ける。眠れなくなって、結局バットを振るとようやく眠りにつける。目を閉じれば、目の前にピッチャーがいる。15年も、毎日やってきた習慣なのだ。「やめる」と頭で決めただけで体が同期してくれるわけではない。その習慣を繰り返してしまう自分が、辛いのだ。

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野球をやめると決めたときには想像できなかった辛さが待ち受けている ©文藝春秋

「もう恋なんてしない」に重ねる思い

 プロ野球選手でいた期間が6年間。プロ野球選手を辞めてから今年で6年が経つ。今でも、目を閉じるとたまには野球のことが浮かぶ。しかし、それは辛いことではなく、今では非常に楽しみなことである。「150キロって、どんな軌道だったっけ?」とか、「千葉マリンの風って、こんな感じだったかな」という具合に、もはや断片的になってしまった記憶を大切に手繰り寄せている。

 そうだ、戦力外通告は、失恋に近い。15年好きだった恋人に振られることに置き換えれば、突然恋人としての関係は終わってしまうけれど、好きであることとその日々は突然終われない。そんなことを考えていたら、槇原敬之の「もう恋なんてしない」の歌詞を思い出した。

一緒にいるときは
きゅうくつに思えるけど
やっと自由を手に入れた
ぼくはもっと淋しくなった

 あの歌に、戦力外通告を受けた後の日常が妙に重なる。

本当に 本当に
君が大好きだったから
もう恋なんてしないなんて
言わないよ 絶対

 佳境に向けて盛り上がるプロ野球の一方で、誰にも気づかれずそっと引退していく選手もいる。それもまた、プロ野球。ドラフト、ポストシーズンというイベントとともに、戦力外通告にもまた同じようにドラマがあることを知ると、プロ野球の面白みがより一層深まるだろう。

「もう恋なんてしない」
作詞・作曲/槇原敬之

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