三度がさと道中合羽のいでたちでリングに登場し、激しく拳を交える。引退後は俳優、タレントとしても才能を発揮し、「OK牧場」などユーモアあふれるフレーズでお茶の間を沸かせた。多才に映るガッツ石松さんの来歴は、遮二無二に人生を突き進んできた証しだった。
栃木県粟野町(現鹿沼市)出身で、「極貧」と言う環境で育った。中学卒業後に上京し、弁当店などで働いた。テレビで見たボクシングに興味が湧き、ヨネクラジムを見学。一度は怖くなって帰宅したが、意を決して翌日に入門した。
世界王者としては多い14敗という戦績が示す通り、まさにたたき上げ。プロテストも一度は落ちた。わずかなファイトマネーと、勝ち名乗りを上げる喜びが励みだった。
土台は熱意と勤勉さにある。1974年4月。ロドルフォ・ゴンサレス(メキシコ)を8回KOで破り、ライト級で日本人初の世界王者に就いた。代名詞は「幻の右」。左ジャブの引き際に放つ右ストレートのことで、相手が防御する前に打ち抜いた。モハメド・アリ(米国)のワンツーを研究した成果だった。
生活が苦しい中で手にした高額のファイトマネー。妻に「5度防衛するから今回は俺にくれ」と頼み込み、両親のために実家を建て替えた。その後は約束通りタイトルを5回死守。豪快ながら律義だったガッツさんらしいエピソードだ。
引退後はテレビや映画でも活躍。国民的ドラマの「おしん」や「北の国から」で味わいある演技を披露し、陽気な天然キャラでも人気を集めた。元世界王者でつくる「世界チャンピオン会」の初代会長を任されるなど、篤実な人柄で人望を得た。
リングネームは清水次郎長一家、「森の石松」のような迫力と根性が身につくように、との願いからだった。何度も事業に失敗したという。それでも「いつも一生懸命生きてきた。それだけは胸を張って言える」と話していたガッツさん。常に全力を尽くす姿勢に、真の強さがあった。
