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「仕事も“安室奈美恵でいること”もやめたい」

 しかし、華々しい活躍の裏で、どん底もたびたび味わった。結婚と出産にともなう1年間の休業から復帰した直後には最愛の母を失くす。悲しみを乗り越えたころには離婚。これと前後して、2001年には小室哲哉のプロデュースから離れ、音楽の方向性にも悩むことになる。後年、彼女は次のように当時を振り返っている。

《結婚も、出産で仕事を休むことも、何も怖くなかった。でも、母のことがあってからはずっと辛かった。なんでこんなに濃い人生なんだろう。もう仕事も“安室奈美恵でいること”もやめたいと思っていました。だけど、今がどん底だとすれば、これ以上悪くなることはないはず。そう思うと、少しずつ楽になれました》(『AERA』2008年5月12日号)

「つまり、みんなは“強い安室奈美恵”を求めてた」

 2003年、安室はヒップホップやR&BのアーティストたちとコラボレーションしてSUITE CHIC名義でアルバム『WHEN POP HITS THE FAN』を制作。一緒に仕事をしたかった人たちと、やりたいことをやらせてもらった経験は、自己プロデュースに乗り出す大きな転機となった。ただ、そのなかでファンへの姿勢について考えさせられることもあった。

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《当時、結婚と出産を経て、少し性格が丸くなっていた私は、やわらかいテイストの楽曲でいきたいと思っていたんですね。ところが、いざ楽曲を発表してみると、ファンの方が“あれ? なんか、ちょっと違う”って違和感を感じていて。つまり、みんなは“強い安室奈美恵”を求めてたんです。その反応を見た時、私は『私がやりたい音楽を貫くんじゃなくて、ファンの方が求めていることに応えたい』と思った。我を貫くこともできたのかもしれないけど、みんなの期待に応えることが、その時の私の中でベストだと思ったんです。あの選択があったからこそ、今の安室奈美恵がある。確実に、私のターニングポイントのひとつだと言えますね》(『MORE』2012年8月号)

©getty

「すべては“ライブ”を目がけてやっているんです」

 ファンの期待に応えることを何より大切にする彼女の姿勢は、ライブを重視することへとつながっていく。やがては活動のすべてがライブへと集約されていった。

《トレーニングはもちろん、曲を作ってレコーディングすること、CDをできるだけ多くの人に聴いてもらうこと……とにかく私がしていることすべては“ライブ”を目がけてやっているんです。ただ、それに気がついたのは20代後半、『PLAY tour 2007-2008』の時。すごく時間はかかりました》(『MORE』2010年5月号)

「PLAY tour 2007-2008」は、アルバム『PLAY』を引っ提げて2007年8月から半年間、日本を縦断したツアーだ。さらに翌08年7月、30歳にしてリリースしたベストアルバム『BEST FICTION』は売上が170万枚を超え、10代、20代、そして30代と“3年代連続”のアルバムのミリオン突破となる。国内のアーティストでは初の快挙だった。同アルバムにともなうツアーは、追加公演を重ね、女性ソロ歌手では最多の50万人を動員した。

 ことあるごとに「歌と踊りが一緒になったとき初めて自分が完成する」と語ってきた安室にとって、ライブこそ表現のすべてだった。今年2月から6月にかけて5大ドームをまわった最後のツアー「namie amuro Final Tour 2018~Finally~」は約75万人を動員し、ソロアーティストにおける新記録を樹立。同ツアー終了後、彼女は《同じ楽曲を同じ空間で同じように楽しめるのは、コンサートでしか味わえないこと。私にとってはそれが一番楽しい時間でしたし、元気ももらえました》と語っている(『with』2018年10月号)。