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「みんなは“強い安室”を求めてた」 安室奈美恵は26年間、何を語ってきたのか?

1992年のデビューから引退までのコトバ

2018/09/16

genre : エンタメ, 芸能

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 歌手の安室奈美恵が、デビュー26周年を迎えたきょう、2018年9月16日をもって芸能界から引退する。きのうは、沖縄コンベンションセンター(沖縄県宜野湾市)での音楽フェスに出演、これが事実上最後のステージとなった。今夜には、宜野湾トロピカルビーチで彼女の楽曲に合わせて花火を打ち上げるショーが開催されるなど、地元を挙げての盛大な送り出しとなる予定だ。

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“歌ではなく、演技を選んだ”少女

 安室が芸能の道へ進むきっかけは、よく知られるとおり、小学生のときに沖縄アクターズスクールに入学したことだ。友達の付き添いで見学に訪れた彼女に、校長のマキノ正幸がずば抜けた才能を見抜き、特待生として入学させたという話は語り草である。

 もともと音楽にそれほど興味があったわけではない。入学当初は、歌とダンスではなく、演技のクラスを選んだほどだ。それが友達のやっている歌やダンスの授業のほうが楽しそうに思えてきて、クラスを変更してもらうと、しだいに興味が高まっていく。歌うことを仕事にできればいいなと初めて思ったのは、中学に入り、スクールのイベントに初めて出演したときだという。

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「私、絶対に成功してみせる」母に見せた涙

 1992年、アクターズスクールの生徒たちにより結成されたスーパー・モンキーズの一員としてシングル「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」でメジャーデビュー。中学在学中は、沖縄と東京を往復しながら芸能活動をしていたが、卒業を機に上京する。このとき最後まで反対した母親は、出発当日の朝、安室からボストンバッグを力ずくで奪い取って止めようとした。だが、彼女は涙を流しながら「私、絶対に成功してみせる」と言ってバッグを取り返す。根負けした母は、ちょうど財布にあった2万円を渡すと、後ろ姿だけを見送ったという(『週刊文春』1998年5月28日号)。

 デビューしたあともけっして順風満帆ではなかった。ヒットに恵まれず、「沖縄に帰ろう」と何度も思ったという。ようやく1995年、安室奈美恵 with スーパー・モンキーズ名義による「TRY ME~私を信じて~」がヒット。同年4月には「太陽のSEASON」でソロデビュー、10月リリースの「Body Feels EXIT」より小室哲哉がプロデュースを手がけ、12月の「Chase the Chance」で初めてチャート1位を獲得する。以来、安室と小室のコンビは次々と大ヒット曲を生み出していった。