「事件には興味はない」
東野 だから短編では、事件を起こす犯人の方にドラマがある。そういう意味では短編の主人公は犯人の方と言えるかもしれません。それを長編の場合は、意識的に湯川の話にしようとしているんです。この『沈黙のパレード』にしても、実は湯川と草薙の友情の話です。なぜこの物語が成立して、なぜ湯川先生が謎を解くのかということは、最後の最後でわかります。映画では、内海の電話の場面ですね。これは決して湯川が気まぐれで謎を解いたわけでも何でもなく、彼が謎を解くのには必ず理由がある、深い人間ドラマがある、すくなくともあるようにと、思って書いているんです。
『容疑者Xの献身』では、親友を罪人にしていいのかどうかという苦悩が湯川にありました。『聖女の救済』は恋愛で悩んでいる友人を助けたい、という気持ちがありました。『禁断の魔術』には、自分が教えた弟子を過ちから救うというテーマがあります。同じく『真夏の方程式』も、出張先で出会った少年を助けるわけです。長編の場合はすべて、湯川の心のドラマです。湯川は事件には興味はない、けれどその人を何とかして自分が救うしかないという、そういう迷いの中から結論を出していこうとしているわけです。
福山 そのあたりの苦悩を表に出すかどうか。映像化する段階での打ち合わせでは、その湯川さんの心情をオンにするかオフにするかという打ち合わせをするんですけど、湯川さんの場合は、ほぼオンにしない、外に見せないんです。苦悩しているところはあえて見えないように作っているんですよね。
実は今回、映画の台本には「僕は事件には興味はない」というセリフはもともと書いてなかったんですよ。「なじみの店が殺人事件の容疑者にされるかもしれない。関心がないほうがおかしい」というセリフだけでした。でも、それだと事件を何としても解決したい草薙に対する、湯川さんの思いが透けて見えてしまうんじゃないか。そう感じて監督に「『僕は事件には興味はない』っていつも通りスパーンと1回言っておきたいんですけど」と、相談させてもらったんです。
東野 そうだったんですね。
福山 いつも通り湯川さんはこう言うんだなと、見ている人にも内海にも草薙にも1回そう思わせておく。事件には興味はないんだけど、なじみの店の人たちのことだから関心があると。まずはそういう体裁で湯川のストーリーを展開させる。そして最後の最後に内海薫の言葉で、湯川さんの本当の思いが、「そうだったのか」というのが分かるような構造がいいんじゃないかと。
東野 先ほどおっしゃった、湯川が草薙のところにニッコリ現れるのも、あれも湯川なりの考えた末の行動ですよね。あの場面は湿っぽく登場してはいけないですよね。
福山 そうですね。それが最後の内海薫の言葉につながる。ラストカットに湯川の答えがある。
東野 事件を起こすのは確かに犯人だけど、この物語は、その事件がどういう解かれ方をしたかというのが大事だと思っているんです。だから、実を言うと「ガリレオ」の長編は、短編に比べてものすごく苦労するんです。湯川に何を考えさせ、苦悩させるか、事件に興味のない湯川がなぜ事件にかかわるのか、なぜ謎を解くのかというのを毎回考えなくちゃいけないから。そして、そろそろそのアイデアがなくなってきている(笑)。
福山 いやいや、それは困ります(笑)。
※本記事の全文(約8000字)は、文藝春秋9月号に再録されているほか、月刊文藝春秋の電子版「文藝春秋PLUS」に掲載されています(東野圭吾×福山雅治「『ガリレオ』の秘密」)。 全文では、下記の内容をお読みいただけます。
・プライベートでも親交の深いふたり
・コロナを小説でどう描いたか
・福山雅治「本当に贅沢な時間です」


