トヨタ自動車で社長、会長を歴任し、経団連会長も務めた奥田碩氏が8月8日、老衰のため死去した。93歳だった。
「奥田氏は一橋大学を卒業後、当時のトヨタ自動車販売に入社し、経理畑を歩んだ。1995年に創業家以外から28年ぶりに社長に就きました」(銀行関係者)
在任中には世界初の量産ハイブリッド車(HV)「プリウス」の実用化に尽力。97年に発売にこぎ着けた。いまやトヨタのHV販売台数は世界シェアの4割を超えている。
「社長就任直後は利益低迷に苦しんだものの、海外展開を強化。98年にはダイハツ工業を子会社化し、国内販売台数もV字回復させた。社長就任前の94年度に比べ、会長退任時の2005年度には売上高を2.5倍の約21兆円に伸ばしました」(同前)
一方、晩年まで続いたのが、創業家(豊田家)との複雑な関係だ。
「そもそも奥田氏を経営の中枢に引き上げたのは、創業家の豊田章一郎社長(当時)でした。奥田氏は歯に衣着せぬ言動から上司とぶつかり、72年から6年半、フィリピンに事実上左遷された。そこでの仕事ぶりを高く評価したのが、章一郎氏だったのです。以降、奥田氏は様々な社内改革に乗り出しますが、それも章一郎氏の後ろ盾があってこそでした」(同前)
ところが社長に就いて以降、「創業家は象徴のような存在になるだろう」と述べるなど、創業家に批判的な発言が増えていく。
《この続きでは、奥田氏と章一郎氏の長男・章男氏との対立、奥田氏の歯に衣着せぬ章男氏への評価、章男氏がどのようにして創業家としてトヨタグループの資本支配を進めていったかなどについて、トヨタ関係者の証言とともに報じている。記事の全文は現在配信中の「週刊文春 電子版」および8月19日(水)発売の「週刊文春」で読むことができる》

