活躍する棋士に「ふざけんな」
回復するに従って、復帰への不安を覚え、活躍する棋士に激しい嫉妬を覚え、「ふざけんな」と家でわめき散らす。作者がすさまじいほどの執念を抱くのは、復帰したい、でもなく、勝ちたい、でもなく、将棋が弱くなりたくない、という思いだ。泣くほど思い詰めるその姿に、私もまた泣けてくる。
棋士というのは特殊な仕事だが、けれどももっと普遍的に、人が、真に生きていくのに必要なことはなんなのか、この本を読んでいるとわかってくる。入院中、ほかの患者が千ピースのパズルを完成させる場面がある。私は深く胸打たれた。こういうことだ、と思う。それから、友人や同業者の言葉に心底から救われ、また他者の心ない仕草に深く傷つけられ、自分が自分であると信じられることにしがみつき、他者を妬み自身の惨めさに打ち震え、そして、木や土や風を感じながら、歩く。そのぜんぶ、生きていくのってこういうことなんだろう、と思う。負の感情も感謝の念も、助けも傷つけもする他者も、何気なくある周囲の自然も、私たちがそれぞれの場所にいるために、必要なのだ。
それにしても、徹頭徹尾、自身を客観的に見続ける、作者のこの強靱な姿勢に驚かされる。驚きつつ、同時に、これが、小学生から修練を積んだ棋士の強さか、と納得もした。
せんざきまなぶ/1970年、青森県生まれ。81年、小学5年時に米長邦雄永世棋聖門下で奨励会入会。87年、プロデビュー。91年、NHK杯戦で棋戦初優勝。棋戦優勝2回、A級在位2期。17年7月にうつ病を発症。8月から休場、翌年6月に、順位戦で復帰を果たす。
かくたみつよ/1967年生まれ。『源氏物語(池澤夏樹=個人編集 日本文学全集)』(河出書房新社)を翻訳中で、11月に中巻発売予定。