「これ以上接するのは限界だ」

 出版した時点では、母とは約5年間会っていませんでした。でもあるとき、宗教にお金を吸い取られる中、家がどうなっているのか心配で友人と一緒に実家に行ったんです。

 吉祥寺の実家の表札には、下氏の宗教団体の支部であることを示す「六水院吉祥寺教場」という看板がかかっていました。インターホンを鳴らしても反応がなく、手紙と友人の連絡先を残したら、母から連絡が来て、吉祥寺のホテルの喫茶室で会うことになりました。

生まれたばかりの娘・雅代さんを見つめる小川真由美(本人提供)

 母は相変わらずでした。日焼けしないように四六時中サンバイザーを被っている人だったのですが、女優の仕事がなくてもサンバイザーはしていて、元気そうでした。そして私の友人に「この子は最初に付き合った男に暴力でボロボロにされちゃったのよ」などと無神経なことを嬉しそうに話す。私はカッとして「帰ろう」と友人を促しました。すると、

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「あなたいいわね。こうやって、来てくれる友だちがいて」

 と母が寂しそうに言ったんです。

 その後すぐ謝罪の連絡があり、私は月一の頻度で、友人と一緒に、上野に引っ越す母のために、実家で荷物整理をすることになりました。

 この頃、母が最も頼りにしていたのが、冒頭で紹介した“母の死を知らせてくれた人”です。母は親切な人を見つけてはそこに浸食していくのですが、母の面倒を晩年までみてくれたのがこのAさん。当時Aさんが上野に引っ越しすることになり、母は追いかけて行ったんです。

 吉祥寺の一戸建を売って、上野のマンションに移ったのが74歳の頃。私はここでも月一回、友人と共に呼ばれては、何かと用を頼まれました。でも1年近く経った頃、母にこれ以上接するのは限界だと思った。その後はケアマネさんに様子を聞いたり、施設入居に協力してくれる弁護士を用意することはあっても、直接会うことはありませんでした。

 そして10年が経ったのです。

※約7400字の全文では、小川真由美の元婚約者である橋爪功氏について語られています。全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年9月号に掲載されています(小川雅代「毒母・小川真由美は“孤独死”していた」)。

小川雅代(おがわ・まさよ)◎1969年東京都生まれ。父は俳優の細川俊之、母は女優の小川真由美。パンクロックバンド「JETT SETT」のMAHとしてギター&ボーカル&作詞作曲を担当

文藝春秋

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毒母・小川真由美は“孤独死”していた

出典元

文藝春秋

【文藝春秋 目次】芥川賞発表 受賞作全文掲載 小砂川チト「ゾンビ回収婦」/「高市総理よ、日本を壊すな」細川護熙/がん15部位 早期発見ガイド

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