「ノーランが『オデュッセイア』やるって!」──噂を最初に聞いた時、私は驚かなかった。「さもありなん」と思っていた。なぜなら、原典の『オデュッセイア』が2800年前からすでにノーラン的だからだ。

 日本語字幕の監修で、本編と原典を何度も往復するようになり、その直感は確信に変わった。

夫の帰りを待つ妻・ペネロペ(アン・ハサウェイ/左)と息子・テレマコス(トム・ホランド)。© 2026 UNIVERSAL STUDIOS

ノーラン監督の映画術が、ホメロス本来の語りと出会う

 原典である『オデュッセイア』は、紀元前8世紀ごろの古代ギリシャで成立した、1万2000行ほどの長編英雄叙事詩である。長いトロイア戦争を終えたイタケの王オデュッセウスが、さらに10年も海をさまよい、妻ペネロペと息子テレマコスの待つ故郷へ帰る。戦争は10年。帰り道も、さらに10年。世界最古級の「帰還」の物語だ。

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 本作がまずスクリーンに解き放ったのは、その筋書きだけではない。時間の折り畳み方である。

原典の『オデュッセイア』自体が、ノーラン的な物語だった? © 2026 UNIVERSAL STUDIOS

 原典では、旅は出発から順番に語られない。物語は放浪10年目から始まり、描かれるのは最後の40日間の出来事だ。オデュッセウス本人が姿を現すころには、旅はすでに終盤である。

 一つ目巨人、魔女キルケ、冥府への旅。私たちが『オデュッセイア』と聞いて思い浮かべる冒険の多くは、物語の中盤になって初めて、主人公自身の回想として遡って語られる。

 その冒険は現実なのか。それとも、話術に長けた男が宴の席で語った物語なのか。原典は答えを一つに決めない。3000年近く前、時間はすでに折り畳まれ、現実と虚構の境は揺らいでいたのだ。

 時間と空間を自在に組み替えてきたノーラン監督の映画術が、ここでホメロス本来の語りと出会う。本作もまた、故郷イタケの現在と海上の過去、現実の出来事と記憶の中の冒険を交錯させていく。ノーランが新しく作った構造ではない。2800年前の船に、初めから備わっていた機構なのだ。