21歳のとき、さだまさしの曲『風に立つライオン』に憧れてケニアへ渡った永松真紀さん(59)。初渡航早々に強盗に遭いながらも「もっともっと知りたい!」と感じてしまったという。危険に惹かれる性分が、その後の怒濤の人生を引き寄せた。
マタトゥ経営、離婚、そして「ケニア大嫌い」へ
永松さんがケニアで夢中になったのが、「マタトゥ」と呼ばれるケニア独自の乗り合いバスだ。車体に個性的なペイントを施し、好きな音楽を流すその乗り物は、青年海外協力隊や駐在員に「絶対乗ってはいけない」と言われるほど危険な存在とも言われている。しかし永松さんは「ただの乗り物ではなく、都市カルチャーのひとつ」と惚れ込み、ついには自ら経営するまでになった。
ところが、現実は甘くなかった。当時のケニア警察の間では賄賂が横行しており、現金商売のマタトゥは格好の標的となった。「日本人=金持ち」というイメージも相まって、何かというとお金を巻き上げられたという。そのうえ、マタトゥのマネージャーだったケニア人男性と結婚して帰国したものの、「時間は守らない、嘘つき、女たらし」という状況はまったく変わらず、すぐに離婚。「ケニアなんてもううんざり」と、すっかり嫌気が差した。
しかし、物質的な豊かさを追いかけるナイロビの若者たちとはまったく異なる価値観を持つ存在が永松さんの目に映る。牛と家族に価値を置き、先進国への上昇志向とは無縁のマサイ族だ。「マサイに会ってみたい」——その一念が、再びケニアへと永松さんを引き戻すことになる。
マサイ戦士のリーダーと「交際0日」で結婚するに至った経緯とは何か。ケニアへの愛憎が折り重なった30年の軌跡は、インタビュー本編で詳しく語られている。
