世間から銀行員は「社会的エリート」と見なされてきた。「お宅のお子さん、○○銀行に入社したそうで羨ましい!!」という親世代の会話がそれを物語った。この伝統的なイメージが最近、ぐらついている。銀行業界に対して、時代遅れのビジネスモデルに執着し続けた果ての構造不況業種という見方が強まっているからである。
それに拍車を掛けたのはメガバンクが昨秋に打ち出した事業構造改革であり、なかでも人員削減計画がボディーブローのように効いた。トップたちは「リストラではなく、自然減である」と説明したが、ネガティブイメージを押し返すだけの説得力は乏しかった。それはなぜだったのか。
銀行のトップといえば、クールなイメージで描かれやすい。実際、ビジネス上で冷淡な決断を下したり、あるいは、怜悧な経済見通しを語ったりしている。平たく言えば、「頭脳明晰なビジネス・エリートであって、やや人間性に欠ける」という人物像である。軍隊に例えれば、兵士たちを奮い立たせるような戦場に立つ将ではなく、はるか後方で戦況判断する参謀のような存在である。
そんな人物が業務の効率化、さらには人員削減計画などの話をすると、往々にして、近未来は不気味で暗くならざるを得ない。クールさがむしろ、災いして、兵士は奮い立たずに怖気づく。
銀行業界の「今」はこれである。昨年、メガバンクが相次いで事業改革を発表するや、メガバンクにとどまらず、銀行業界全体で低体温症のような不安感が広がった。
そうしたなかで、唯一、人員削減を強調していないのが三井住友フィナンシャルグループである。かつ、デジタル技術導入による事業構造改革を圧倒的なスピードで進め、着々と実現させてきているのも同グループだ。3つのメガバンクにおいて、これほどまでに違いが際立ったことはかつてなかったとすら言えるだろう。なぜ、三井住友グループは独自のスタイルで疾走しているのか。
そこで、三井住友フィナンシャルグループの総帥である國部毅社長(64)にインタビューした(全文は「文藝春秋」11月号に掲載)。三井住友グループは、前身の一つが旧住友銀行である。同銀行は「熱い商売人」であり「壁を突き破る突破力」が持ち味だった。ときには、このパワーで道を逸脱し、危機的な挫折を味わい、社会から激しい批判を浴びることもあった。だが、そのたびに、この銀行は這い上がってきた。要するに、このグループには人間臭さがある。
ライバルグループを引き離すような改革のハイスピードはなぜなのか。そのなかで全職員を奮い立たせる言葉をトップは語れるのか。旧住友銀行の遺伝子を継承していることを自他ともに認める國部氏が予定時間を過ぎても語り続けた内容は、単なる戦略の内容という側面だけではなく、人間臭さのみが発揮できる説得力という観点からもお読みいただければ、インタビュアーとしては幸せだ。デジタル技術の時代は、経営者の時代なのである。