「『俺が、会社を良くしてみせる』。関連会社に行く同期は、送別会でそう意気込んでいました。それが、半年も経つと、すっかりやる気を失って、目から生気が抜けてしまったんです」

 こう話すのは、バブル世代のメガバンク幹部だ。
 
 メガバンクの子会社、関連会社には、メガバンクが決めた通りに事務を進める下請け業務を担う会社が多い。そこは、責任から解放されながら給与が払われる天国であり、変化しない秩序と能力の発揮が許されない牢獄でもある。

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頑張っても出世することはない

 あるメガバンクの取締役経験者は言う。

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「私はある関連会社の社長になりました。ただ、この会社で、メガバンクの入行年次は私が一番下でした。つまり最若手です。メガバンクでの入行年次が上でも、最終ポストが私よりも下だった先輩は専務、その先輩より下のポストで終わった、さらに入行年次が上の先輩が、常務……。といった具合に、メガバンクでの最終ポストだけが会社の秩序を支えています。これが逆転することは決してありません」

 メガバンク本体の持ち株会社の社長、頭取を頂点としたピラミッド型の年功序列の組織を維持するためには同期を順次、本体から放出するしかない。その一方で、彼らを解雇するわけにもいかない。そうした中、終身雇用、年功序列を守るためには、こうした人員を吸収する、「逆ピラミッド」型の子会社や関連会社が必要になるのだ。

 ここでは、頑張っても出世することはない。給与も地位も、メガバンクの最終ポストによって規定されている。最若手がトップにいようとも、創意工夫で生産性を高めることも付加価値を生み出すことも求められていない。そもそも、そのようなインセンティブが、与えられていないのだ。

 取引先の企業への出向や転籍でも、似たような現象が起こる。ある銀行幹部が言う。

「取引先に出向、転籍する場合でも、メガバンクでの最終ポストの地位がすべてで、“常務で終わった人”が専務で、“部長で終わった人”が平の取締役のポストに就いたとすると、いかに“部長で終わった人”のほうが出向先の評価が高くても、その地位が逆転することはありません」

映画「終わった人」でメガバンクの子会社に飛ばされた主人公を演じた舘ひろし ©共同通信社

 内館牧子に『終わった人』(講談社文庫)というベストセラー小説がある。舘ひろし主演で映画化もされた。主人公の田代壮介は東大卒業後、大手銀行に入行、順調に出生を続けたが役員には昇格できず、49歳の春に「たちばなシステム株式会社」に取締役総務部長として出向、2年後の51歳の時に転籍した。田代は、この子会社の改革に取り組もうとしたが、その意欲そのものが否定され挫折、子会社の専務として63歳で定年を迎える。物語は、定年後の田代が、生きがいや居場所を探し続ける姿を描く。

 田代の子会社での十数年間は、「終わった人」の物語の前史であり、小説の中では短く触れられているに過ぎない。能力も気力もある50代の田代は、実力の発揮そのものを封じ込められて子会社で「終わる人」となる。これこそが、メガバンクの終身雇用を維持するために作り上げた「逆ピラミッド」の天国のような牢獄なのだ。