メーカーにとって、メガバンクの元専務は「保険」
無論、取引先から能力を乞われて銀行を退職、転籍した人は別だ。私も、個人的にこうして取引先で活躍している元銀行員を何人も知っている。
しかし、銀行のあっせんで、取引先に出向した場合は、銀行が作り上げた秩序の外に、逃げ出すことはできない。ここにも「逆ピラミッド」と同じ秩序が形成されているのだ。
あるメガバンクの中堅が言う。
「うちの銀行で専務になり、ある優良メーカーに副社長として迎えられた元上司がいました。私は、このメーカーに元上司を挨拶がてら訪ねました」
すると、後日、この元上司から、中堅行員は、こう言われたという。
「これからは会社で会うのは止めよう。『銀行の人と、うちの財務担当者抜きで話すのは止めてほしい』と部下から注意されたよ」
たとえ、副社長でも銀行時代の部下の挨拶を受けることすら、ままならないのだ。
この優良メーカーからすれば、メガバンクの元専務を、何かの時の「保険」として副社長で預かっているという感覚なのだろう。
副社長のポストは、融資の際に金利を低下させた見返りか、せいぜい危機時に融資を受ける保証料の代わりに過ぎないのだ。銀行員としての能力が期待されているわけではない。余計なことは、しないでほしいというわけだ。
「逆ピラミッド」型企業が日本のGDPを低迷させている
日本の企業社会を代表する組織であるメガバンクは、こうした「逆ピラミッド」型の子会社や関連会社をたくさん抱えている。メガバンクの終身雇用と年功序列を維持するためだけに生み出された場所だ。もちろん、こうした仕組みを整えている企業はメガバンクだけではない。日本的な大企業の大半が、似たようなシステムを維持しようと腐心している。
現役のメガバンク幹部が言う。
「この逆ピラミッド型の企業が、日本のGDP(国内総生産)の伸びを低迷させている一因かもしれません」
「おじさん」を批判していたバブル世代
News Picksが6月下旬にアップした「さよなら、おっさん社会」という連載が話題を呼んだ。この記事では「おっさん」を「新しいことを学ばない(アップデートしない)存在」と定義し、若くても女性でも、新しい価値観に適応できず、既得権益をふりかざし、序列意識が強く、自己保身的な人は「おっさん」だと位置づけた。
では、なぜ、人は「おじさん」になるのだろうか。
今、「おじさん」を日本社会に大量に輩出しているのは「バブル世代」といわれる50代前半の世代だろう。筆者もその世代の一人だ。ただ、この世代は、終身雇用や年功序列が崩れることを前提に社会人生活をスタートさせ、バブルの麻薬に酔った団塊の世代の上司や先輩が「アップデートしない」ことに苛立ち、バブル崩壊という危機やグローバル化、デジタル化という波の中で、既得権益を壊し、新しい価値観を生み出す改革を叫んできた世代でもある。少なくとも、そうした志を持った多数の会社員たちがいた。
しかし、上司や先輩である「おじさん」を打破し、乗り越えようとしていたバブル世代の会社員たちが、いつのまにか「おじさん」になってしまった――。
いったい、なぜか。
その背後には、「終身雇用」と「年功序列」という日本の企業社会を支えてきた仕組みが、しぶとく生き残っていることがありそうだ。メガバンクが抱える逆ピラミッド型の会社は、その仕組みを支える重要なパーツだ。そこに、多くの人が吸収されて、血気盛んな若手社員も、いつの間にか「おじさん」へと作り替えられてしまう。