『父の棺に焼きそばを』(植野広生 著)

「一昨年に父が亡くなってからずっとそのことを書きたかったし、担当編集にも言われ続けていましたが、バタバタして書けなかった。旧知の辻仁成さんに『植野さん、それ書かなきゃダメだよ』と言われて、ようやく書こうと思ったんです」

 食をテーマにした雑誌「dancyu」元編集長として幅広く活躍する植野さんが、この度エッセイ『父の棺に焼きそばを』を上梓した。本書の中心として語られるのが、新聞記者を辞めて家業の焼きそば屋を継ぎ、たくさんの人に愛された父との思い出だ。

「僕も長らく食にまつわる仕事をしてきて、食がいかに人を幸せにするのか発信してきたつもりです。でも、改めて両親との思い出を振り返ると、食が生と死にまつわるもっと深い意義を持つものだと気付いたんです」

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 つい1カ月前まで普段通りに酒を呑んでいたのに、食が細った矢先に胃癌が判明し、「余命2、3週間」と宣告された父。酒と落語をこよなく愛し、毎日のように呑んでいた父が日ごとに弱っていく姿を目の当たりにしながら、宇都宮の実家と東京を往復する生活が始まる。植野さんの脳裏にあったのは、看取るまでに一緒に食べたい品々だった。

「食は生きている証であり、最後の尊厳です。食べたいものを笑顔で食べる。介護している側にとってもその時間が逃げ場になる。だから、食の現場というのは笑顔でなきゃいけないんです」

 植野さんの心意気を象徴するエピソードがある。かつて、両親の結婚記念日の食事で、上野の天ぷら屋のお座敷に落語家を呼んで一席演ってもらった。落語が大好きでよく寄席に連れて行ってくれた父へのサプライズだ。

「食事以外の要素も含めて、食事の楽しみ方の一つです。父が亡くなる前にどうしても食べてもらいたくて、父が行きつけだった食堂にお願いして鍋を借りて、道具も材料も全く同じ湯豆腐を作ったこともありました。僕にできることは限られてるし、それで死ぬ間際の親父が笑ってくれたら家族も幸せになります」

 この楽しみ方を教えてくれたのも、父との思い出だった。夕飯の前に決まって一杯やっていた父を近所の寿司屋に迎えに行くのが植野さんの役目。オヤジたちのダジャレが飛び交い、寿司や刺身をつまみながら酒を呑む風景こそが、食の原体験だったという。

植野広生さん

「食べるだけじゃなく、会話も楽しみたい。だから、初めての店に予約の電話をする時に苦手なものを聞かれると必ず『愛のない料理が苦手です』って返すんです。するとお店の反応は二通りで、『はぁ?』か『わかりました、精一杯愛を込めて作らせていただきます』。少しでもいいからお店に意識してもらいたい、僕なりのラブコールです。面倒くさい客ですよね(笑)」

 食への愛を背中で語り続けた父は、余命宣告から25日目、自宅で家族に看取られて逝った。「人は生まれることは選べないが死に方は決められる」と言っていた通りの最期だった。

 そこから始まるのは、大きな喪失感のさなかで喪主を務めた通夜と告別式、そしてリウマチを患う母の介護の日々。葬儀の流れや死亡後の手続きなど、その全てを事細かに記録する植野さんの文章は、まるで似た境遇で悩む全ての人に宛てたガイドブックのようだ。

「これはあくまで植野家の話ですが、家族が息を引き取る瞬間までずっと傍にいて、あるいは介護の現実に直面して初めてわかった気付きを書きました。そういった場面での食という救いの大切さを皆さんに感じていただけると嬉しいです」

うえのこうせい/1962年生まれ、栃木県出身。法政大学卒業後、新聞社等を経てプレジデント社で勤務。2017年から23年まで「dancyu」編集長を務めた。現在はwin-do.us代表。食のプロデューサー・アドバイザーとして活動し、BSフジ「日本一ふつうで美味しい植野食堂」出演中。 

父の棺に焼きそばを

植野 広生

小学館

2026年7月22日 発売