当時の日本政府は満州の開拓によって、増え続ける日本の人口の移動や、食料や資源の増産を試みましたが、結局は成功しなかった。国防の観点から言えば、満州は中ソの緩衝地帯とされたけれど、実際には役に立たなかった。
一方、湛山は、日本が満州や台湾、朝鮮といった植民地を手放すべきだと主張しました。それは、単なる理想論ではありません。そうすることによって、日本はその植民地の人々から圧倒的支持を得られると同時に、同じく植民地主義を推し進めているアメリカやイギリスが窮地に陥るという意図ではなかったかと思うのです。加えて、植民者と被植民地が、今の言葉でいうwin-winの関係になれない限り、その関係は長続きしない。そんな合理主義的な考え方が、湛山の小日本主義の根底にはあったのだと思います。
自分で書いたものこそ心に響く
2021年、東洋経済新報社の創立125周年を記念して、保阪さん、船橋洋一さんと私とで鼎談しました。その時にいただいたのが石橋湛山全集、全15巻でした。それだけの著作を残すのは大変なことです。
私は首相在任中、広島の平和記念式典でのあいさつの中で、被爆者で歌人の正田篠枝さんの短歌を引用しました。他にも、国連総会のスピーチではパレスチナをめぐってイスラエルを批判し、戦後80年所感では戦争を防げなかった理由を分析しました。湛山の足元にも及ばないけれど、このとき意識したのは、自分で書いたものでないと決して人の心に響かないということ。優秀な首相秘書官たちと徹底的に議論して、推敲に推敲を重ねて書きましたよ。
その点、今の「ショート動画政治」は非常に恐ろしい。
※この続きでは、「石破構文」と揶揄されてきたことについて石破茂氏が意見を語っています。全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年11月号に掲載されています(石破茂「石橋湛山 国民にすら媚びない」)。
