「病院で治療を続けるのは、墜落しそうな飛行機を紐でくくってヘリコプターで無理矢理吊り上げているようなもの」。緩和ケア医・萬田緑平先生のこの言葉が、白血病の4歳の息子を自宅で看取る決断を後押しした。青木佑太さん(43)と麻純さん(40)夫妻が、決断に至るまでの葛藤を語った。

 小児がんなどと闘う子どもに付き添う親へ、温かい手作りスープとおむすびを届けるキッチンカー「fufufu-soup」。この活動を続ける青木夫妻の原点は、「前駆B細胞急性リンパ性白血病」を患い、2019年10月11日に4歳で亡くなった長男・一馬くんとの日々にある。

青木佑太さんと麻純さん夫妻 ©石川啓次/文藝春秋

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副主治医が泣きながら「一馬くんを治してあげられなくてごめんなさい」と…

 治療開始から半年ほどで「極早期再発」が判明し、群馬県立小児医療センターでは「手の施しようがない」と告げられた。夫妻は国立がん研究センターに転院し、治験薬を試し続けた。それでも2週間ごとの面談では「ダメでした」と言われ続けたという。

 2019年7月、「根治を目指して使える薬はどれも効かなかった」と伝えられた。面談の後、副主治医が泣きながら「一馬くんを治してあげられなくてごめんなさい」と言った。佑太さんは「ああ、一馬は死んじゃうんだ」と、初めてそう思ったと振り返る。

 それでも自宅での看取りには踏み切れなかった。佑太さんは「やっぱり子どもの命を諦めきれない」と、当時の気持ちを明かす。再転院後、萬田先生の診療所を訪ねると、「最期の時っていつですか? 具体的にいつですか?」と問われた。佑太さんはすぐに答えられず、代わりに麻純さんが「もう、今かもしれないです」と答えたそうだ。

自宅に戻る前の一馬くん。家に帰れると知って目に光が戻ったという(青木佑太さんのXより引用)

「息子を頑張らせなくてもいいし、痛みから解放してあげていいんだ」

 麻純さんは、抗がん剤を止めれば本当にすぐ死んでしまうのではと思い、決断できずにいたという。萬田先生は「病院での死は墜落だけど、お家での死はソフトランディングでゆっくり着陸するんだよ」と話した。さらに「家に帰って一馬くんの好きなことを全部叶えてあげましょう」とも言われ、麻純さんはハッとしたという。

 麻純さんは「私は、誰かに背中を押してもらいたかった」と語る。「もういいんだ、もう無理やり息子を頑張らせなくてもいいし、痛みから解放してあげていいんだ」と思え、ホッとしたそうだ。

 一馬くんに「退院する?」と尋ねると、「退院する! もう病院には来ない!」と即答した。自宅に着いて最初に言った言葉は「お腹すいた」で、病院では食べられなかったエビフライをむしゃむしゃ食べたという。

 家族で過ごした最期の10日間や、佑太さんが今も抱える後悔については、インタビュー本編で詳しく語られている。

〈つづく〉

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