それは、自分は札幌を離れて東京で作家生活をしたく、この機会にそれを実現したい、という思いが湧き上がり、もう札幌には帰らないと直感したからではないだろうか。
中央公論社を訪ね、自分の小説はどうなったのかと尋ねる千代に、瀧田編集長はすでに『墓を発く』が掲載された「中央公論」5月号を見せ、360円の原稿料を手渡した。いまの貨幣価値でいえば20万円程度と思われるが、当時の千代にとっては有頂天になるのに十分な金額だったようだ。
当日出会った作家を“お持ち帰り”
千代は札幌に帰る代わりに、360円をもって6年ぶりに岩国へ帰り、義母や弟妹に大盤振る舞いした。その後、札幌への帰途についたものの、東京で少し時間があったので、瀧田編集長にあらためて礼をいうために中央公論社に寄った。その行動が千代の運命を変えた。
このとき瀧田編集長は千代に、評論家の室伏高信と作家の尾崎士郎を紹介した。この尾崎、千代が「時事新報」の懸賞小説で一等になったとき二等だった作家で、「ぼ、ぼくが、そ、その、二等賞の尾崎士郎です」と自己紹介した。このおどけつつ、どもった話しぶりは、千代にとって〈無防備な、抗し難いものであった〉という(前掲書)。
その晩、尾崎が部屋を借りているホテルで尾崎と千代、そして室伏の3人は飲み、その時点で札幌に帰る気がなくなったと思しき千代は、尾崎に隣の部屋を借りてもらい、だが、自分の部屋ではなく尾崎の部屋で、一つの蒲団で寝たという。
そのまま千代は札幌に帰らなかった。それは東京で作家活動をしたかったからなのか、尾崎と一緒にいたかったからなのか。おそらく両方なのだろう。
その後、藤村忠は東京を訪れ、千代と尾崎と鍋を囲んで酒を飲んだという。その雰囲気を想像するだけで、胃に穴が開きそうになる。
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。