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「でも……」が口癖だった鵜久森淳志が成長した理由

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/10/30
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 今年も、日本シリーズが行われる季節になった。と同時に、来季の構想から外れた選手が、各球団から戦力外通告を受ける時期にもなった。プロ野球ファンのみならず、日本中が日本シリーズの話題に盛り上がる一方、応援をしていた選手、思い入れのある選手が戦力外通告を受けたり、引退をしたりして、悲しみや、脱力感に襲われているファンの方も大勢いるのがこの季節でもある。

初めて鵜久森淳志を見たときの衝撃

「甲子園は鵜久森のためにあるのかーーー」、名実況があったとか、なかったとか。済美高校の鵜久森淳志は、間違いなくプロ野球で大成すると思わせるスラッガーだった。3年生の春の甲子園ではチームを初出場初優勝に導き、夏の甲子園では初出場準優勝に導いた。高校3年時の甲子園大会での成績は、39打数18安打5本塁打14打点、打率.462と驚異的な数字を残している。そんな鵜久森が、2015年の北海道日本ハムファイターズに続き、2018年に東京ヤクルトスワローズから戦力外通告を受けた。

 私が北海道日本ハムファイターズに入団したときに、鵜久森の存在は衝撃的だった。バッティング練習での打球は恐ろしいほど速く、そして誰よりも遠くへ飛ばしていた。長身で筋肉質なボディー、さらに整ったフェイス。包容力のあるゆったりとした話し方。濃すぎて剃ったあとは少し青い髭。プロ野球には、若くてこんなに素晴らしい選手がいるのだと感動したものだ。こんな素晴らしい選手でも、プロ野球の一軍では活躍できないのかと、レベルの高さも痛感させられた。

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済美高校時代の鵜久森淳志 ©文藝春秋

「でも……」と否定語から入る姿が気になった

 そんな鵜久森だが、私は入団後しばらくしてあることが気になった。気になったこととは、彼の口癖だ。首脳陣や先輩、後輩と話をしているときに、あるフレーズが高い頻度で出てくるのだ。その口癖とは、「でも……」だ。コーチの、「あそこはこうしたほうがいいんじゃないか」というようなアドバイスに対して、「でも……、そうですね」と答えていた。先輩からのアドバイスに対しても同じように答えていた。そして、普段の会話の中でも「いや~、でも~」というフレーズが使われていた。そんな鵜久森に対して私は、「いや~、でも鵜久森」というあだ名をつけたほどだ(そのせいか、私はいつもしばかれそうになっていたが)。

「でも」というのは否定語だ。「でも」と一旦否定して、その後に「そうですね」と肯定する。首脳陣や先輩との上下関係がある以上、受け入れたふりをしないといけないのだ。本人は無意識にこの言葉を使っていたのだろう。この言葉をよく使う人はあまり物事がうまく行っていない人に多い。逆に「でも」をよく使うからこそ上手くいかないとも言える。我が強かったり、人の意見が受け入れられなかったり。つまり、自分に素直になれていないのだ。自分に素直になれていないから、他人の意見も素直に聞くことができない。鵜久森の場合は、野球に対するプライドや、自身の考える野球理論、そして自信があったのか。もしくは、周りの期待とは裏腹に、プロ野球のレベルの高さからくる理想と現実のギャップに悩んでいたのか。この頃の鵜久森は、誰もが羨む打撃力を持ちながら、その力を発揮できないでいた。

「でも……」が口癖だった鵜久森 ©文藝春秋

 私がヤクルトスワローズに移籍したのは、2014年のシーズンが開幕して間もない時期だった。そして、鵜久森がヤクルトスワローズの一員になったのが2016年。私のイメージの中の鵜久森は、守備に不安があり、肩も鉄砲肩ならぬ水鉄砲肩。そのために、バッティングに集中できずに、なかなか結果が出ないのではないかと思っていた。しかし、2016年に再びチームメイトになって見た鵜久森のプレーは、私のイメージの鵜久森を遥かに超える選手になっていた。

 守備力が格段に向上し、肩も鉄砲肩とはいかないまでも強くなっていたのだ。もちろん、バッティングも正確さが増していて、その中で飛距離も出すという素晴らしい選手になっていた。鵜久森とチームを離れて、たった1年の間でこんなにも野球が上達するものなのかと驚いたことを覚えている。

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