同じころパリでは、若い映画人たちが低予算で自由に映画を撮る新しい波「ヌーヴェル・ヴァーグ」が巻き起こる。ある日、若きジャン=リュック・ゴダールが撮影中だった映画のラッシュフィルム(約20分)を見ないかと誘われた秦氏は、そこに映るジャン=ポール・ベルモンドの生き生きとした姿とこれまでにない新しさに衝撃を受け、即座に買い付けを決断した。「息切れ」を意味する原題に対し、ふと浮かんだ『勝手にしやがれ』と邦題を命名。本作はゴダールの長編第1作となり、ヌーヴェル・ヴァーグを象徴する歴史的傑作となった。
さらにその後、音のない映像だけのラッシュを見せられたルネ・クレマン監督の新作では、魚市場やヨットの上でギラギラとした輝きを放つ若手俳優アラン・ドロンの姿に魅了され、即座に購入を決める。日本で大ヒットを記録した『太陽がいっぱい』である。秦氏はその後も映画評論家、ファッション評論家としてフランスと日本を往来し、鋭い視点で時代を見つめ続けている。
思い起こした川喜多かしこ氏の言葉
登壇した秦氏は、こう挨拶した。
「最初にお話をいただいたときは、とんでもないことだと思ってお断りしようと思いました。かしこ夫人は私たちにとって遠いレジェンドのような存在です。かしこさんが最初の映画をご主人(川喜多長政氏)から結婚祝いとして贈られたという話がありますが、それは1931年、昭和6年のことで、ちょうど私が生まれた年でした。そのような方の賞をいただくのはおこがましいですし、もっと率直に言えば、後に私も小さい会社ながら映画を選択・買い付けする立場となり、かしこさんの競争相手として戦ったこともありました。ですから、私が賞をいただくのは筋違いではないかと考えたのです」
どんな外国映画を買い付け、日本に紹介するか、そうした仕事に携わっている女性は川喜多氏以外にもいた。しかしいずれも社長夫人や重役といった立場で、当時の秦氏のような「平社員」が映画の選択にかかわるようになったのは、まさに時代の変化がもたらしたものだった。

