『北の国から』生みの親とお別れの時がやってきた。墓碑に刻まれた文字は倉本聰が心血を注いだ「創」。名シーンを「創る」裏には倉本の“ダメ出し”があり、それは蓋し名言の数々だった。日本を代表する俳優たちが悼む。
3つの遺影は、どれも柔らかい表情をしていた
「誰が来てくれるか、悲しんでくれるのか、会場の上から見たい」
脚本家・倉本聰(享年91)は生前、そう冗談めかして言ったという。
11月3日、倉本が約半世紀にわたり創作の拠点にした北海道・富良野市で「お別れの会」が開かれた。
会場となったのは、市街地から離れた小高い丘の上にある富良野演劇工場。役者などの著名人だけでなく、全国から駆け付けたファンや地元市民も分け隔てなく集い、献花台は白の大菊やカーネーションで埋めつくされていた。
祭壇に飾られた3つの遺影に写る倉本は、どれも柔らかい表情をしていた。
倉本は今年9月18日、多臓器不全のため、自宅で息を引き取った。
東京大学卒業後、ニッポン放送に勤務する傍ら執筆活動を始め、1963年に独立。その後、『前略おふくろ様』(日本テレビ系)や『駅-STATION』など、数多くのテレビドラマや映画の脚本を手掛けた。
「最初から悲しくされちゃあ、かなわない」
倉本の盟友の一人だったのが俳優の石坂浩二(85)。70年代前半、『わが青春のとき』(日本テレビ系)、『2丁目3番地』(日本テレビ系)でタッグを組んだ。
当時、NHK大河ドラマ『太閤記』や『天と地と』で人気を博し、若手スターの道を歩んでいた石坂。その後の役者人生の財産となっているのが、倉本からの“ダメ出し”だ。
「悲しい場面だからって、最初から悲しくされちゃあ、かなわない。その悲しみはセリフに全部私が書いてあるから」
石坂が述懐する。
「よくおっしゃっていたのが、『自分が考え抜いて書いたセリフを大事にしてもらいたい』。セリフ以外の部分で余計な演技を加えなくとも、セリフ通りにきちんと言えば、そのシーンは成り立つと、教わりました」
1977年から北海道に移住
倉本は大河ドラマ『勝海舟』の脚本を担当したものの、制作サイドと意見が合わず降板。77年に北海道に移住した。そして81年、主人公・黒板五郎(田中邦衛)とその家族の、21年間に及ぶ人生を描いた『北の国から』(フジテレビ系)が誕生する。
竹下景子(73)は、五郎の子どもである純(吉岡秀隆)と螢(中嶋朋子)の叔母「雪子おばさん」(宮前雪子)を好演。竹下が悼む。《続く》
《この続きでは石坂、竹下、原田美枝子ら倉本作品に出演した俳優たちが追悼秘話を明かしている。記事の全文は現在配信中の「週刊文春 電子版」および11月5日発売の「週刊文春」で読むことができる》


