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ライオンズの背番号7、松井稼頭央は確かにそこにいた

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/10/31
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三塁側に巣食っている「敗者の念」

 さて……ここから先は僕の妄想だ。ライオンズを愛する者の端くれとしては声を大にして主張したいのでここに書き残す。

 今シーズンは2009年にホームのベンチを三塁側へ移してから初めてのリーグ優勝だったが、最後に悲しい結末を迎え、日本シリーズへの道を閉ざされた。これはもう、長年そこに巣食っている“敗者の念”のせいだ。そして、この得体の知れない厄介な代物を生み出したのは、他でもない。“黄金時代”の西武ライオンズである。

 所沢移転後の1979年から直近の日本一に輝いた2008年までの30年間で、Aクラス26回・リーグ優勝16回・日本一10回。この強者の前にひれ伏した相手チームは、いつだって三塁側ベンチに陣取っていた。

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 脳裏にこびりついて離れない光景がある。1997年10月3日のダイエー戦だ。息詰まる投手戦の末、4番・鈴木健の勝ち越しサヨナラソロホームランで優勝を決め、東尾修監督が初めて宙に舞った。鬼気迫る渾身の投球で果敢に勝負を挑み続けた先発・吉武真太郎はマウンドで泣き崩れ、チームメートに抱えられ一人では歩けなかった。戻ってきた先は、三塁側ベンチだった。当日、ホークスサイドのリポーターだった僕は、こちらへ近づいてくる精根尽き果てた敗戦投手を目の前にして心が震えたものだ。

 この悲劇を筆頭に“我らがホーム”の三塁側には、挙げればキリがない「敗者の念」が、きっとまだ溢れていたのではないか。そうでなければ開幕から一度たりとも首位を譲らなかった年間王者が、あんなにあっさり敗退するなんて到底信じがたい。

 この「念」は、時間の経過と勝利の数で浄化されることが去年と今年のペナントレースで証明された。ところが、一足飛びには結果を出せないあたりが悩ましい。2018年はリーグ制覇までが精一杯だったのだ。とてもじゃないが、そうでも思わないとやっていられない。

 CSファイナルの敗戦で、この10年間に渡り、ライオンズにまとわり続けた“モヤモヤとした何か”は完全に消え失せた。残るは、神頼みだ。日本シリーズ出場を逃した夜から、僕はすでに来年の日本一奪還を野球の神様に向けて、祈り続けている。

 そして……とても大きな背番号をつけた松井稼頭央が、今年は流せなかった嬉し涙を拭う暇もなく、大エースと呼ばれるまでに成長した松本航の手で胴上げされる日がいつか訪れることも。

2015年シーズンのひとコマ ©斉藤一美

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