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「好きなことを仕事にした」人の天国と地獄

「したいこと」と「しなければならないこと」の絶妙なところ

2018/11/19
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「こんなはずじゃなかった」が多すぎる

 その拙い人生経験からしますと、若いころに「僕は昔からこれがしたかったのです」といって、実現した後に急速に飽きて伸び悩む人と、引き続き前に進んでいける人とがいるように思うのです。例えば、かなり卑近な例で言えば結婚したいとか自分の家を持ちたいとか年収1,000万になりたいという夢を持っている人たちはたくさんいます。もちろん、結婚したいならまずその不潔なハゲ頭をどうにかしろとか、収入が欲しいならもう少しいいスキルを持てるように自分なりに研鑽したり業界研究をしろというアドバイスをするわけなんですが、そのようなアドバイスが効いたのか効かなかったのか努力が功を奏し、夢を実現して結婚したりマイホームを持ったりした後で「こんなはずじゃなかった」という事例が多すぎるわけですよ。

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 一口に結婚したいと言っても相手のあることですし、結婚という漠然とした夢のころと、結婚生活という目の前の天国と地獄を具体的に体験するころとでは、同じ結婚という漢字二文字の持つ意味合いが違います。お相手が好きで結婚してみたけれど、いざ一緒に居てみたらぐうたらで家事分担もせずわずかな小遣いだけ割り当てられて酷い生活が待っていたという事例もありますし、好きなプロスポーツの世界で身を立てたいと就職してみたら運悪くパワハラ上司にあたって夢から覚め毎日ストレスがマッハな状態で暮らしているとか、大幅年収アップの転職が実現して喜んで働き始めたら超絶ブラック環境で入社して半年も経たず心身が疲れ果て退職に追い込まれたとか、「こんなはずじゃなかった」という事例は山ほどあります。

「したいこと」と「できること」の落差

 で、身の回りで早期退職者の人たちが満足した生活を送っているケースを見ていると、その手に届く夢というのが「したいこと」と「しなければならないこと」のバランスのとり方が絶妙だったりするのです。例えば、所得は減るけれども娘が大学を出るまでは倹約し、卒業して就職したら夫婦で地方に引っ込んで山登りを楽しみながら週四日の仕事に就く、みたいな無理のなさを計画しているとか。あるいは、おっさんだけど元職で嘱託で残るよりは自分で事業を作って昔の取引先の仕事のサポートで薄謝を複数得ながら趣味の映画を週10本観る、みたいな。

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 たぶん、若いころは「どうにかして正社員になりたい」という気持ちがあったとして、その正社員になったときどういう気持ちであるか、満足はどこに得られるのか、その先はきちんと暮らしていけるのかという経験に基づく想像力がなかなかつけられないまま、漠然と就職や結婚を目指すことになるのだろうと思うわけです。良い大学に入らなければいけない、就職できなければならない、結婚しなければならない、誰が作ったのか分からないレールを完走することを目標とし、それを実現してみようと努力して、実際にそれが達成できたとしても、それが本来自分のやりたいことや、生きていくスタイルと合わなかったときに物凄いストレスを感じたり、不幸な感覚になったりするものなのだと思います。若いうちは、どうしても「したいこと」と「できること」の落差を埋めるのに精いっぱいになりますが、その「したいこと」を実現できたとしても、やることの9割はどうでもいい雑用のような「しなければならないこと」であり、みんな定時に出社しているから自分も出社し、同じ時間に激混みのなか昼飯を食い、職場全員が残業していれば何となく自分も残業している、そして満員電車に揺られながら帰る、みたいな日常に埋没していきます。