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絶望の淵に立たされた福留と西岡の激突

 絶望の淵に立たされたのは、14年3月30日の巨人戦。敵地・東京ドームで飛球を追った福留孝介と西岡剛が激突して大怪我を負った、あの試合だ。マウンドに立っていたのが、開幕ローテーションをつかみ、3戦目に抜てきされた榎田。自分が投げなければ、あのプレーは起こっていなかったのでは……。どうしようもない現実、罪悪感にもさいなまれた。投げること、ボールを持つことに恐怖を感じた。そんな時、当事者の先輩2人から「お前は悪くないからな。気にするな」と励まされたことは救いだった。「あの言葉がなかったら……」。また、強く腕を振れるようになった。

 他にも、自らの暴投で2者の生還を許して逆転サヨナラ負けを喫した「松山の悲劇」はファンなら誰でも知っている。挫折、故障、悲劇……ここには書き切れないほどの幾多の苦難に翻弄されながら、自分を信じてその度に、立ち上がってきた。突然のトレード移籍も、そうだろう。そんな男が「やっぱりあの試合ですね」と過去の苦闘をかき分けて探し出した阪神でのベストゲームは、左肘手術後、先発として初めて白星を挙げた13年4月11日の巨人戦。8回2死で降板した際、甲子園のファンから全身に浴びた拍手と歓声は、ライオンズのユニホームを着た今でも鼓膜に残ったまま。「涙を堪えるのに必死だった」。偽らざる本音だ。

 

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 昨年3月、岡本洋介との交換トレードが発表された日、荷物整理に訪れた2軍の本拠地・鳴尾浜球場で榎田は、キャリアを振り返って、こう言った。「人生で楽しいこと、苦しいことが五分だ、と言う人はいますが、苦しいことの方が多いと思う。でも、大好きな野球で苦しんだり、楽しんだりできてる自分は、幸せなのかなと思いますね」。生々しく実感のこもった言葉だと思うし、妙に納得できたのを覚えている。
赤の他人でありながら、背番号13が歯を食いしばって戦ってきた野球人生を、取材を通じて見聞してきた。だから、報われて欲しいと切に願うし、マウンドに向かうその背に心の中で声援を送り、勝利を目にして勝手に安堵している。「ありがとう」や「サヨナラ」ではなく、結局はまだまだ、榎田大樹の歩むこの“物語”を見たいのだ。

 先日、本人からLINEが届いた。「ファームになってしまったので、阪神戦は厳しいと思います。すいません」。8日のDeNA戦で3回途中4失点でKOされ、試合後に2軍降格が決まった。2週間後には、阪神戦が控えていたが、移籍後、1つの目標だった甲子園での登板は目前で消滅した。昨年、新天地で11勝を挙げながら、今年はここまでわずか2勝。人生そううまくは行かないけど、生きるしかない――。そう教えてくれる男の苦みたっぷりの生き様が、見る者の心をたまらなく揺さぶるのだろう。

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