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27歳まで峰で暮らした男性に話を聞く

 こうなれば峰の旧住人にも会って話を聞いてみたい。釜飯屋で出会った老人に半ばダメ元で聞いたところ、なんと歩いてすぐの集落に格好の人物がいるという。名前と場所を伺い、御礼を言って店を出た。足取りは軽い。犬も歩けば棒に当たるのだ。

 多摩川の鳩ノ巣渓谷にかかる雲仙橋を渡り、しばらく行くと教えられた集落があった。その一角にある平屋建ての家の前で、お目当てのKさんが植木に水をやっていた。薄緑色の長袖のシャツに、ベージュのスラックスを穿いている。

雲仙橋を渡る
真下の鳩ノ巣渓谷は絶景だ

 こちらの趣旨を伝えると、「私が峰を出たのは昭和46(1971)年でした。もう48年も前のことです。今はもう75歳ですからね。記憶にあるのは近くの川で川遊びをしたことくらいで、正直、当時のことはあまり覚えていないんです」と、突然現れた訪問者に、困惑を浮かべた表情を見せた。

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 Kさんは昭和19(1944)年生まれで、27歳の時に峰を出た。小学校、中学校は峰から麓の学校に山道を往復して毎日通った。中学を出ると、麓の棚澤地区にあった工作機械メーカーで働き、27歳で峰を出るまで、山道を毎日通勤していたという。

「峰」の住民はこの山道を毎日往復して、学校や職場に通ったそうだ

 峰はなかなか気のいい場所ですね、と言うと、「いやあ、暮らすのは大変でしたよ」という答えが返って来た。子供の足であの山道を学校まで毎日往復するのは難儀ではなかったでしょうか、と尋ねると、「慣れてしまえばそうでもないね。毎日の習慣ですから」。

「もう本当の山になってしまったんでしょうね」

 Kさんはもう30年以上、峰には行っていないという。顔を峰のほうに向けながら、つぶやいた。「あそこは山道でしょう。男の子ならともかく、うちは子供も孫も女の子でしたから、連れて行く機会もありませんでした。杉が育って、もう本当の山になってしまったんでしょうね」

 人生の3分の1あまり、最も多感な青少年期を過ごしたはずの故郷に対するKさんの反応は、思いがけず淡泊だった。Kさんにとって、峰を下りた後の人生のほうが色彩に富んでいたということだろうか。

峰集落では今も静かに時だけが過ぎている

 故郷(ふるさと)は遠きにありて思うもの。しかし、Kさんにとって峰は、すぐそこにある「近すぎる故郷」だった。会話の途中で、Kさんはときおり、峰がある山のほうに視線を向けた。その目の中には、忘れかけていた故郷の姿が映っていたのだろうか。

撮影=文藝春秋

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