アニメや特撮だけでなく、CMソングも多数手がけられている串田アキラさん。「ホントにホントにホントにホントにライオンだ」でお馴染みの『富士サファリパーク』も、串田さんが歌っています。デビュー50周年を迎えても、なおパワーアップし続ける串田さんが、そもそも音楽の世界を志したきっかけは何だったのか。若手歌手や声優仲間への思いとともに、歌手としての“原点”を伺いました。(全2回の2回目/#1より続く)

 

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――串田さんはデビュー前、米軍基地などで歌われていたそうですね。

串田 はい、10代の頃ですね。沖縄が返還される前で、厚木、座間、横浜などに米軍のベースキャンプがあったんです。根岸の競馬場跡や山下にも米軍の施設があったので、そういう場所をまわって歌っていましたね。

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50周年記念ベストアルバム『Delight

 もともとアメリカの音楽、レイ・チャールズとか、ナット・キング・コールとか、『ショットガン』のジュニア・ウォーカーなどがとにかく好きで聴いていました。日本はその頃、グループサウンズが流行りかけていましたが、僕は何か違うな、という感じでした。中学生の頃はラテンを聴いていましたね。あと、ジョニー・ディアフィールドの『悲しき少年兵』を聴いて感動していました。

 そんな風にアメリカの音楽にどんどんのめりこんでいって。それであるとき、横浜にある外国人専用のクラブへバンドを見に行って、「うわぁ、カッコいいなぁ」と思って、そのときにドラムソロを見たのがきっかけでドラムが好きになりました。ちょうどそのとき通っていた歯医者と同じビルにドラム教室があったので、すぐに手続きしちゃって(笑)。

ドラムじゃ目立たないから歌っちゃおう

――ワイルドなイメージから、ちょっと可愛い話になりましたね(笑)。

串田 当時、アメリカ人の兵隊さん向けのクラブで、バンドが4つくらい入れ替わりで演奏していたんです。そのバンドのバンドボーイをしていました。そういう場所に10代の日本人はあまりいませんでしたね。今思えば、あまり良くないことですね(笑)。

 

――ドラムから歌いはじめるきっかけは何かあったんですか? 

 歌うようになったのは、それからだいぶ経ってからなんですが、ドラムってセットが後ろなので、あまり目立たないんですね。じゃ、歌っちゃおう、ということで、ヴォーカルもやるようになりました。