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 森林は当時の自分と向き合うように、一言一言を絞り出した。「筑駒というコミュニティを抜けて、社会に飛び出したときに、自分に何があるんだろうと。『ストリートニュース(※)』に載れるわけじゃない、本当に頭が良いわけでもない、世間一般に出て面白いと言われるやつでもない。それじゃあ自分のアイデンティティはどこにあるんだ、と。こういう葛藤は、きっと筑駒じゃなかったとしても多くの思春期の子どもが感じるものだとは思うんです。でも筑駒では、そこに振り幅があるのがつらかった。自分は頑張れば、ノーベル賞を取れる人間かもしれない。かと思えば、どうにもならない、しがないおっさんになるだけかもしれない」

※『東京ストリートニュース!』。95年〜02年まで刊行されていた首都圏高校生向けのファッション誌。一般高校生を読者モデルとして取り上げ、“カリスマ高校生”ブームの火付け役となった。

「大学受験に失敗して、本当にどうにもならなくなりました」

 それでも、筑駒には「東大に入ることさえできれば……」という空気があった。「校外ではちょっと暴力的なやつも、学校の中ではアニメオタクを尊重したりするんですよ。筑駒という安全圏にいる限りは、どんなキャラクターでも安心というか。でも、いざ外に出たときにどうなるんだろうっていう不安は、みんな抱えている。とはいえ、東大に行っておけば、世間的にはなんとかなるんです」

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高校3年時の文化祭(本人提供)

“筑駒”という安全圏から、“東大”という安全圏へ。だが、その移行に失敗した人間は、「外の世界」に飛び出て自らを確立するしかない。「そういうやつの多くは、同窓会に来ないです。東大に行かないで、同窓会に楽しく来るやつは少ない。やっぱり筑駒にいる限りは、東大っていうのがあるので」

 中学受験を志したときから、森林を支え続けてきた「自分には何か特別な能力がある」という確信。筑駒時代の6年間で、それは徐々に薄れながらも、決して消え去ることはなかった。「でも、大学受験に失敗して、本当にどうにもならなくなりました」。筑駒卒業後、森林は1浪を経て、「なんとか引っ掛かった」専修大学文学部心理学科へと進んだ。

捨てられない“筑駒というプライド”

 数ある専攻のなかで、なぜ心理学科を選んだのか。そう問うと、森林は「自分を知るためです」と答えた。「心理に進む人って、心理学を学べば自分のことがわかるんじゃないかと思って行くんですよ。誰かの役に立ちたいとかの前に、そもそも自分がわかんないっていう」

 1年間の浪人生活の末にようやく大学生になったものの、結局東大には遠く及ばなかった。その負の感情を抑え込むように、森林の中に湧き上がってきたのは「何か楽しいことをしたい」という思いだった。「今だったら、NSC(吉本興業の養成所)に入るような気がします。でも、当時は入り方もわからなくて。筑駒から専修大学へ行った、というのは正直恥ずかしかった。それでも何か楽しいことをやりたくて、社交ダンスサークルに入りました」

 

 しかし、そこに溶け込むことは遂にできなかった。「筑駒っていうプライドが捨てられないんです。それに、地方出身者に対するマウントを取ってしまうんですよ。麻雀で徹夜したとか、飲み会で吐いちゃったとか、そんなの高校でやったよって。一緒にするな、って思っちゃって、結局友達もできませんでした」

 何か楽しいことを、面白いことをしたい。でも、大学の中に自分の居場所はない。そんな葛藤を抱えながら迎えた大学1年の夏、森林はその後の人生を大きく変える決断を下すことになる。AV男優へ応募したのだ。