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「おとーさん、サトテルや」小学5年生のタイガースファンが初めて甲子園に行った日

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/10/09
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「球場で見るホームランて、こんな風に見えんねんなあ」

 人生において、2回目は重要だ。一度きりの場所、経験なんて無数にある。が、2回目となると、そこにわずかでも「縁」が芽ばえる。その後、3、4と回を重ね、縁を育んでいくかどうかは本人次第だ。

 10月1日。晩ごはんは、駅前の地下食品売り場で買っていく。ポテサラ、鶏そぼろめし、イカタコフライ、鉄火巻き。

「カラアゲは、ぜったい、球場の甲子園カラアゲ」

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 と、ひとひは主張。無人窓口のバーコード読み取り機で「シャリーン」とチケットを発券。入場ゲートはホームの真裏。今回はふんぱつしてグリーンシートを購入した。

「おとーさん、先発、いとうや!」

 わずかでも年が近いからか、アマの香りが残るからか、少年野球の選手たちにきいてみると、佐藤、中野、伊藤のみならず、牧、奥川、栗林と、おおむねルーキー好きの傾向がある。それもまあ、皆が皆、大活躍しているからだろうけれど。

 1回の表、伊藤の投じた初球がゴロアウト。これでテンポに乗り、ストレートがびしびし決まりだす。真正面からフォームを見ると、左腕をためこんだ後、一瞬で解放し、勢いつけて投げこんでくる様がよくわかる。三者凡退! 三者凡退! 

「パーフェクト、いくんちゃうかあ」

 腕がうずくのか、ひとひもからだをむずむずさせて見入っている。

 4回の裏。その予兆はなかった。ファンも選手たちも、不意をつかれた、という感じだった。大山が一閃したバットから、一瞬おくれて打球音が響き、高々とあがったボールはレフトスタンドの前列に「ひっかかる」感じで着地した。大山自身は確信していたようで、大歓声があがったときにはすでに、軽く拳をあげながらダイヤモンドをゆうゆうとまわっていた。

 物静かで、雄大な、大山らしい四番のツーラン。これで2対0。

 5回表、伊藤が先頭打者にホームランを浴びる。2対1。スタンドにちょっぴり緊張感が走る。

 が、5回裏、ツーアウトから近本、中野が出て1、2塁。

「おとーさん、行くんちゃうかあ」

 そう、そんな気配が充ち満ちていた。そんな空気のど真ん中に投げこまれた一球を、全身ムチのような「砲丸投げ打法」マルテのバットが、いつも通り、斜め下から思いっきり引っぱたいた。

 音が飛んでゆく。打球に視線が追いつかない。とらえた、と思ったら、もうそこはレフトのポール際、色とりどりに渦巻くひとの海原のどまんなかだった。スリーラン。これで5対1。

「おとーさん」

 とひとひが、夢の声でつぶやく。まわりでは黒と黄色の六甲おろしが吹き巻いている。

「なあ、球場で見るホームランて、ほんものって、こんな風に見えんねんなあ」

 そう、時がとまんねん。

 伊藤は7回を2失点の好投。代打に佐藤輝明の名がコールされたときの球場のどよめきは、実は、この日いちばんだったかもしれない。一スイングごとに、あんな雪崩のような声援が押しよせるのか。たとえ空振りでもセカンドゴロでも、今年の阪神を盛りあげた第一人者はもちろんこの新人だ。ベンチに戻る8番の背ににえんえんと喝采が送られる。ひとひも9月に買ったタオルを広げて見送っている。

©いしいしんじ

「マジ、帰りたないなあ」

 8回、9回の展開は早かった。最後はなんとなく糸原のような気がしていた。9回表、セカンドライナーからのゲッツーでゲームセット。と思いきや、中日ベンチからのリクエストでビデオ判定がはじまった。

 いやに時間がかかる。なんとなくいやな予感。バックスクリーンに映像が大写しになるたび、酔っぱらったおっちゃんら(この日からビール解禁だった)が応援バットを叩きながら、

「セ~フッ!」「セ~フッ!」「やっぱり、セ~フッ!」

 主審が出てき、ホームベース近くで右手をあげてアウトのコール。スコアは5対2。タイガースはこの上なくキモチいい勝利をおさめた。

 ヒーローインタビューにはもちろん伊藤とマルテが呼ばれた。

 おっちゃんたちは大声で、

「おーい、マルちゃあん、ラパンパラやってくれえ!」

 と叫ぶ。

「おとーさん、あれもヤジ?」

 うーん。僕は少し考え、

「あれは、ええヤジ」

 ひとひが生で見たかったもの。生の左からのクロスファイア。生のホームラン。生の梅ちゃんの偽投と捕殺。生ラパンパラ。生のサトテルのスイング。生「0点で抑えられたのでよかったです」。生スアレス。生リクエスト。生ヒーローインタビュー。生の六甲おろし。

 生の、負けのあとの勝ち。

「あー、帰りたないなあ、マジ、帰りたないなあ」

 ひとひの叫ぶ声が、銀傘にわんわん反響する。

 たしか僕も10歳だった。はじめて見にいったほんもののスタジアム。南海大阪球場、がらんとしたスタンドに飛びこみ、ゆっくりとバウンドする門田選手のホームラン。

 野球好きなら、きっとひとりひとりが覚えている。その球場のかたち、広さ。そこには誰がいたか。そこでいったい、初めてなにを見たか。

 マサカリ投法。一本足打法。つながりまくるマシンガン打線。サイクルヒット。ノーヒットノーラン。高々とあがる野茂の足。マウンド上の江川。清原の、落合の、バースのホームラン。

 その瞬間が見えるか。時はまだ、とまっているだろうか。

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